自然の摂理は偉大なる繰り返しかもしれない。
過去・現在・未来の概念を生み出しているのは人間である。自然はひとつの周期で同じことを繰り返している。そしてこの繰り返しは過去永劫から未来永劫へと続く。必ず夜明けは再び来るし、再び春は訪れる。一人の人間の一生もひとつの周期の繰り返しに過ぎない。人間の脳は物事を順序付け、時系列的な流れに理由付けして過去・現在・未来を認識している。
野に咲く花に過去も現在も未来もない。
そして、来年の春にはまた同じように花が咲く。たとえその花が咲くことができなくて、種が途絶えたにしろ、それもひとつの周期なのである。そして次の新しい種の花が咲く。途絶えた種はいずれまた復活し、新しい周期を始める。その日が膨大な時間の過去のどの時期だったか未来のどの時期になるかは誰にもわからない。数式的には時間のパラメーターを動かしてやれば過去にも未来にも移動できる。理解不能な膨大で複雑な関数になるだろうが、自然が繰り返しているのは確実なようである。宇宙でさえも繰り返している。
もし未来が見えたら私は未来を変えるだろう。
しかし、その変えたつもりの未来も未来永劫に続く周期の中では何の変化も与えない。未来が変えられないと思うのは大いなる誤解であり、いくらでも好きなように未来を変えていけばいい。決められた通りの人生を歩むなんて馬鹿げたことだ。自分の未来を悲観的に決め付けているのもまた人間の空想である。目に見えない運命に強制されていると思うのはもっと馬鹿げた考えである。自然の前では、宇宙の中では、そんなことはこれっぽっちも気にしていない。
未来を見るためにはどうすればいいのだろう。
過去を振り返ればいいのである。過去に行った事象が現在の結果となっている。そうやって自然は宇宙は壮大な繰り返しを繰り広げている。そう考えると、現在何をすべきかが見えてくるはずであり、その結果の未来も見えてくるはずである。未来は見通せるし変えれるのである。植物も動物も微生物や細菌でさえこのようにして現在を生きている。過去・現在・未来を認識している人間が、何故最適の生き方で現在を生きられないのだろうか?そして、未来を誤った方向に導くのだろうか?不思議でならない。
過去・現在・未来は人間の空想である。
人間を取り巻く世界を理解するための手段であり道具に過ぎない。そして、この道具を使いこなすのは人間しかいない。この空想の時間軸の中で一番大切なものが「現在」である。過去も未来も直接は操作できないが、現在はいかようにも変えることができる。と言うことは、人間の人生を云々かんぬんするけれども、結局は現在に生きているのである。その「現在」は過去の因果の賜物であり、未来の応報に通じる。その「現在」を有意義に生きるために、これからも努めて生きたい。少なくとも過去に生きる人にはなりたくないし、未来にはかない夢を見る人にはなりたくないものである。
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