ゴールデンウィークの間遊園地のジェットコースターで事故があって死者が出た。
ゴールデンウィークで来場者が殺到するのは判っているんだから、事前に点検しろよと思うけれども、ずっと点検してなかったし、点検はしても形だけで、真剣に確実にやった形跡は見られない。それでもいいと判断したのは、今までにこんな事故が起こらなかったからだと言う。過去に築き上げられた安全の上にあぐらをかいて起こるべくして起きた事故である。形あるものは必ず壊れるのは世の常である。
管理の不備があったことは事実だが、
冷静に考えると、ジェットコースターは危険なものであり、下手をすると事故が発生して死に至ることもあると思うのが常識でありそうである。だからこそスリルが味わえるとも言える。死の危険を感じないものにスリルは感じられない。スリルを感じれば感じるほど危険は増大し、万一の場合は死をも覚悟するつもりでスリルを味あわなければならない。
自然界の危険は死と背中合わせである。
しかし、遊園地で感じるスリル=危険は死と背中合わせではない。誰かに管理された安心できる危険体験である。誰も死を賭して危険体験をしようと思うものはいない。たぶん本当に危険だと言われたら誰も危険体験しないだろう。その証拠に全国のジェットコースターの乗車者はこの事故を契機に一時的に大幅に激減するだろう。
たまには死者が出るくらいのジェットコースターのほうがもっとスリルがあっておもしろそうである。
こんなことを言うと「不謹慎だ」と責められそうだが、実際自然界で起こる危険は状況によっては死を覚悟しなければならない。延長線上に死があるから危険を感じるのであり、危険を感じる感覚は自己防衛の手段であり、経験によって学習する。本当に危険なことには最初から挑戦しないし、本当に危険に挑戦しようとすれば事前の準備を徹底してやって危険な状態に遭遇する確率を限りなくゼロにしたのち敢行する。
遊園地における危険体験は作り物(バーチャル)である。
安心しきって危険の感覚だけを体験する。そして体験するのは「死ぬほど怖い」危険体験である。通常では体験できないような危険を体験する。自然界ではこんな体験は最初からしないし、こんな体験を頻繁にやっていたら命がいくらあっても足りない。遊園地の死ぬほど怖い危険体験は最初から拒否するのが通常の感覚である。これをあえて敢行して娯楽にしてしまっているのは人間くらいであろう。
自然界の危険体験と遊園地の危険体験は違う。
何が違うかというと、死を賭していないことであり、自ら危険に対処することがないことである。押し寄せる感覚を享受して安全に体験するだけで終わってしまう。これは本当の危険体験ではなく、場合によっては感覚をマヒさせ、正常な危険感覚を失ってしまう可能性がある。危険な状態でも正常な判断ができ的確に対処できるように訓練するための装置であれば納得できるが、本当の危険に挑戦する事なく体験だけで終わらせるのであれば、無駄に終わってしまう気がする。
是非、遊具メーカーは危険に対処するものも開発してもらいたい。
危険に遭遇した時、自らの感覚と身体をもって具体的な対処行動ができるような遊具である。ただ単に安全に縛り付けて感覚だけを体験するのでなく、自らの身体を動かして反応できるような遊具ができないものだろうか・・・。一部にからだの動きと連動した遊具を見かけるが、是非双方向型の遊具の開発を期待するものである。
現代社会のあらゆることが同様ではないかと思える。
バーチャルな部分が大半を占めて、自分で実体験する機会は少ないし、実体験しようとも思わない。知識もある意味ではバーチャルである。世の中は全てバーチャルの中で動いている。しかし、バーチャルと実体験は確実に違う。現実はそんなに甘くないし、思い通りには推移しない。基本的に人間はバーチャルの世界ではなく実体験の世界で教育され、訓練され、体験を積んで行かねばならない。この実体験が乏しいからいろいろな常識を逸する事件があちこちで起こるんだろう。
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