私は株式についての専門家でも何でもない。
ただ、その動向には興味があって、新聞の株式欄を見ることを日課としている。そして、自分なりに観察して楽しんでいる。テレビでラジオで新聞で株が下がった上がったと騒いでいるし、株の価格に影響するような事件があると世界中で大騒ぎしている。この大騒ぎの情報に惑わされて多くの人達が右往左往していて株式市場が大騒ぎになる。そんなことが周期的に定期的に起こっている。しかし、結局それが何だったのかを過ぎ去った後に分析してみると、それほど大袈裟なことではなかったことばかりである。
確かに、その事件で損した人、得した人がいるのであろう。
しかしずっと損するわけでもないだろうし、ずっと得するわけでもないだろう。長い目で見れば損得は均衡し、上手な人は長期的にプラスになり、下手な人はマイナスになる。短期に大儲けした人は、いずれかは短期に大損することになるだろう。自然発生的な標準分布で見ればそこそこに儲かったり損している人がほとんどで、大儲けしている人や大損している人はほんの一部である。あとは質の話で、どの株をどのような考えで自分の意志で購入するかであろう。その判断が正しければ長期的には大儲けの方向に向かうのであろう。
自然発生的な標準分布を頭に入れておけばいい。
短期的には標準分布が乱れることはあっても、いずれかは長い目で見ると標準分布に落ち着くことは間違いないし、定常状態が標準分布である。そうであれば標準分布が乱れているときに手を出さないことである。ある情報があって、このために株式の標準分布が乱れるのは、この情報に惑わされて節操なく動いた人たちが原因を作っている。そして、この動きに目をつけ金儲けをたくらむ輩がいる。一般大衆がこれを真似しようとしてもプロのトレーダーに適うわけがない。それなのに一獲千金を期待して二匹目のどじょうを追ってしまう悲しい一般市民がほとんどである。
ある原因があってある会社の株が上がり始める。
この情報を得た一般市民が一斉に皆に乗り遅れまいとこの株を購入すると、株はますます上がる。ますますその他大勢の一般市民が株を買う。ある程度株が上昇したところで何故か一挙に株が売りに転じ株価が下がり始める。株価の上昇に合わせて買ったばかりのその他大勢の一般市民がすぐ売るわけがない。何も儲けにならないのである。売るのは一番最初の安い値段でもしくは上がり始めた頃に安い株価を得ていた人達である。その儲けは節操のない一般大衆が投じたものである。
こんな現象はあちこちで周期的に起こっている。
損しないためには、節操のない投資をしないことである。不確かな情報に惑わされて情勢に押されて自分で判断することなく刹那的な投資をしないことである。本当にその会社に投資したければそのような周期的な山を避けて株式を購入することである。そんな山は時がたてば元の状態に落ち着く。何も山が生じている時に買わなくてもいいのである。そして、次の山を待てばいい(果たしていつ山が生じるかは不明だが…)。少なくとも高い時に買って安くでしか売れない状況は免れることができる。
一番いい方法は、
画期的な値上がりは期待できないが、安定的に地道に上昇している会社に投資し、長期的な利益を計画することである。もしくは、将来伸びると思える信頼できる会社を自己の判断で選択して長期的に成長を見守ることである。こうすれば日々の株価の上げ下げに一喜一憂する必要はないし、売り買いを繰り返す手間もなくなるし、手数料で証券会社に貢献する必要もない。精神的な余裕も画期的に上昇するし、本来の目的の投資が可能で社会貢献もできる。
このような考え方は人生一般にも通ずると思っている。
私は混雑している時期や場所には近づかないことにしている。盆や正月やゴールデンウイークなどであり、観光のハイシーズンであり、メディアで有名な場所である。そこを少し外すと画期的に余裕をもって行動できる。なぜならば、混雑する前かすでに混雑は去っているし、混雑する特定の場所以外はかえって空いているのである。電車の混雑も同じで、何も混雑した電車に無理に乗る必要はない。次の電車はたいてい空いているのである。一電車待つだけで到着時間にそれほど差はない。しかし、みんなが私と同じ考えになると、この利点は消滅してしまう。是非目先の利益や先を急ぐ人はこれまで通りに行動してもらいたいと切に願うものである。私の人生が豊かになる。これは冗談だが、狂気的な集団行動にはちょっとブレーキが必要だろう。
私は最先端を走ることはしない。
いつもその少し後を追いかけている。だからといって何も問題ないし、かえって冷静な行動がとれる。そしてその冷静さの中に新しい自分なりの最先端を見つけることができる。最先端を走っている人達は先端であることに執着し過ぎだし冷静さを失っている。過去を見てみるとそんなことの繰り返しではなかっただろうか。新しい発明をした人達も発明した時点では決して最先端ではない。みんなが注目しなかったようなところに発明の発生があり、みんなとおんなじことをしていたのでは発明は叶わない。発明が注目を浴び始めてなぜか最先端の扱いをされる。最先端を右往左往している人達はいったい何なのだろうと思うし、その人達を追っかけまわしているメディアの人達も何なのだろう、そして、そのメディアに影響されて熱狂している人達も何なのだろうと思いながら生活している。何も問題はなく、一歩遅れて自分の選択した最先端を目指している。我が人生の様々な選択はそうであった気がする。
ただ、その動向には興味があって、新聞の株式欄を見ることを日課としている。そして、自分なりに観察して楽しんでいる。テレビでラジオで新聞で株が下がった上がったと騒いでいるし、株の価格に影響するような事件があると世界中で大騒ぎしている。この大騒ぎの情報に惑わされて多くの人達が右往左往していて株式市場が大騒ぎになる。そんなことが周期的に定期的に起こっている。しかし、結局それが何だったのかを過ぎ去った後に分析してみると、それほど大袈裟なことではなかったことばかりである。
確かに、その事件で損した人、得した人がいるのであろう。
しかしずっと損するわけでもないだろうし、ずっと得するわけでもないだろう。長い目で見れば損得は均衡し、上手な人は長期的にプラスになり、下手な人はマイナスになる。短期に大儲けした人は、いずれかは短期に大損することになるだろう。自然発生的な標準分布で見ればそこそこに儲かったり損している人がほとんどで、大儲けしている人や大損している人はほんの一部である。あとは質の話で、どの株をどのような考えで自分の意志で購入するかであろう。その判断が正しければ長期的には大儲けの方向に向かうのであろう。
自然発生的な標準分布を頭に入れておけばいい。
短期的には標準分布が乱れることはあっても、いずれかは長い目で見ると標準分布に落ち着くことは間違いないし、定常状態が標準分布である。そうであれば標準分布が乱れているときに手を出さないことである。ある情報があって、このために株式の標準分布が乱れるのは、この情報に惑わされて節操なく動いた人たちが原因を作っている。そして、この動きに目をつけ金儲けをたくらむ輩がいる。一般大衆がこれを真似しようとしてもプロのトレーダーに適うわけがない。それなのに一獲千金を期待して二匹目のどじょうを追ってしまう悲しい一般市民がほとんどである。
ある原因があってある会社の株が上がり始める。
この情報を得た一般市民が一斉に皆に乗り遅れまいとこの株を購入すると、株はますます上がる。ますますその他大勢の一般市民が株を買う。ある程度株が上昇したところで何故か一挙に株が売りに転じ株価が下がり始める。株価の上昇に合わせて買ったばかりのその他大勢の一般市民がすぐ売るわけがない。何も儲けにならないのである。売るのは一番最初の安い値段でもしくは上がり始めた頃に安い株価を得ていた人達である。その儲けは節操のない一般大衆が投じたものである。
こんな現象はあちこちで周期的に起こっている。
損しないためには、節操のない投資をしないことである。不確かな情報に惑わされて情勢に押されて自分で判断することなく刹那的な投資をしないことである。本当にその会社に投資したければそのような周期的な山を避けて株式を購入することである。そんな山は時がたてば元の状態に落ち着く。何も山が生じている時に買わなくてもいいのである。そして、次の山を待てばいい(果たしていつ山が生じるかは不明だが…)。少なくとも高い時に買って安くでしか売れない状況は免れることができる。
一番いい方法は、
画期的な値上がりは期待できないが、安定的に地道に上昇している会社に投資し、長期的な利益を計画することである。もしくは、将来伸びると思える信頼できる会社を自己の判断で選択して長期的に成長を見守ることである。こうすれば日々の株価の上げ下げに一喜一憂する必要はないし、売り買いを繰り返す手間もなくなるし、手数料で証券会社に貢献する必要もない。精神的な余裕も画期的に上昇するし、本来の目的の投資が可能で社会貢献もできる。
このような考え方は人生一般にも通ずると思っている。
私は混雑している時期や場所には近づかないことにしている。盆や正月やゴールデンウイークなどであり、観光のハイシーズンであり、メディアで有名な場所である。そこを少し外すと画期的に余裕をもって行動できる。なぜならば、混雑する前かすでに混雑は去っているし、混雑する特定の場所以外はかえって空いているのである。電車の混雑も同じで、何も混雑した電車に無理に乗る必要はない。次の電車はたいてい空いているのである。一電車待つだけで到着時間にそれほど差はない。しかし、みんなが私と同じ考えになると、この利点は消滅してしまう。是非目先の利益や先を急ぐ人はこれまで通りに行動してもらいたいと切に願うものである。私の人生が豊かになる。これは冗談だが、狂気的な集団行動にはちょっとブレーキが必要だろう。
私は最先端を走ることはしない。
いつもその少し後を追いかけている。だからといって何も問題ないし、かえって冷静な行動がとれる。そしてその冷静さの中に新しい自分なりの最先端を見つけることができる。最先端を走っている人達は先端であることに執着し過ぎだし冷静さを失っている。過去を見てみるとそんなことの繰り返しではなかっただろうか。新しい発明をした人達も発明した時点では決して最先端ではない。みんなが注目しなかったようなところに発明の発生があり、みんなとおんなじことをしていたのでは発明は叶わない。発明が注目を浴び始めてなぜか最先端の扱いをされる。最先端を右往左往している人達はいったい何なのだろうと思うし、その人達を追っかけまわしているメディアの人達も何なのだろう、そして、そのメディアに影響されて熱狂している人達も何なのだろうと思いながら生活している。何も問題はなく、一歩遅れて自分の選択した最先端を目指している。我が人生の様々な選択はそうであった気がする。
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