オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

後世に残すもの

2010年10月09日 | Weblog

今の私に後世に残せるものは何があるんだろう。

 残そうと思えば何でもかんでも残せるんだろうが、残して後世に役に立つものでなければならない。10年後20年後100年後いや永久に役に立つものである事が望ましい。金か、不動産か、貴金属か、株か、事業か、業績か、著述か、文化か、思想か、芸術か、科学技術か、職人芸か、何だか解らないけれども、どうやら、永久に役に立つものとは具体的なものではなく「情報」であるようである。自分が将来に向けて残さなければならないものは「情報」だと思う。しかも永久に役に立つ「情報」でなければならない。そんな「情報」なんてあるんだろうか・・・。

自分に才能があり、実力があり、技術に長けていれば莫大な財を成すことも大きな事業を起こす事も可能である。

 しかし、そんな才能も実力もない凡人には財を成すことも事業を起こす事もできない。そんな凡人は後世に何も残せないんだろうか・・・。私はそんなことはないと思いたい。凡人だから後世に残せるものがあると思う。それは何だろう。よくよく考えてみるに、凡人でもこれだけできるんだという意気込みと成果を示す事だと思う。才能と実力がある人が素晴らしい成果を残すのは考えようによっては当然の事である。だが、凡人が素晴らしい成果を納める事は珍しい事であり、凡人でもできるんだという可能性と勇気を与えてくれる。その可能性と勇気を与えられるのは「凡人」しかできない。

具体的な財産や事業や思想や文化は時間の経過とともに陳腐化する。

 例えば100年後の世界で果たして引き続き価値が通用するのかは疑問である。例えば100年前に偉業をなした人達の成果が100年後に具体的にどれ程役に立っているのか考えると解りやすいと思う。電球を発見したエジソンは偉大かもしれないが、その当時の電球は現在では使い物にならないし、電球は全く新しいものに取って変わってすでに消えようとしている。それじゃあエジソンが偉大ではないかというと、やはり偉大なのである。なぜかというと、新しい照明としての電球を作り出そうとした開発精神に対して尊敬を集め、後世の人もその可能性と勇気を信じてあらゆる挑戦をしてきたのである。その成果が現在の科学の発展につながっている。その意味においてやはりエジソンは偉いのである。

凡人が残せる後世に役立つ「情報」とは何だろう。

 凡人でもこれだけできたという実績であろう。ある意味で一人一人の生き様ともいえる。常に前向きで成功を信じ可能性に挑戦し、一つ一つ積み重ねてきた生き方そのものであると思う。その中で周囲の人を勇気付け可能性を信じさせてきて、なおかつそれなりの成果を上げてきた実績であると思う。常に最後まで諦めない精神であり、挫折しても立ち上がる精神であり、善を信じて悪と戦う気概であり、コツコツと努力を惜しまない心がけであり、自己実現のための継続的な努力である。こんなことを言うと変人扱いされるかもしれないが、自分の中ではそう思って変わる事はないし、そんな生活態度を理想と思っているし、最終的にはこの考え方が人生に後悔しない唯一の方法だと思っている。

何か一つでもいい「凡人でもこれだけできた」という証を残したい。

 せめて、結果として残せなくても、ここまで挑戦したという経過は大切にしたい。そういう生活態度で生活している自分が理想である。そしてその生活態度そのものが「凡人でもこれだけできた」という証に通じると思える。たとえ才能がなくとも実力がなくとも誰にでもできることでもある。残るものは財産でも事業でも著述でも芸術作品でもないが、その生き様は未来永劫後世の人々に勇気と可能性を与えてくれると思う。その勇気と可能性を鼓舞するものはいつでもどこでも新しいものを生み出す力を持っている。こんな素晴らしい「遺産」はほかにないだろう。「凡人でもこれだけできる」という勇気と可能性を凡人に与えられるのは凡人しかできない。一人一人の感化力は大した事ないだろうが、多くの人がこのような考えを持てば世の中は理想の方向に進んでゆくと思う。是非実践してもらいたいものだ。


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