この前ジャングルになりそうな我が家の庭の草取りをしていたら、
なんかの拍子に目に砂が飛んできて入ってしまった。ちょっと違和感があったが、そのまま作業を続けて、休憩時間で寛いで水分補給していたら、目頭のところに目やにが出てて、それを指で拭ったら、見事に先ほどの砂が混ざったものが出てきた。ほんの1時間も経っていない。身体はちゃんと目の異物を掃除してくれているのである。すごいなぁ、と思ったし、こんな人間の身体の仕組みに感心したものである。
体温調節のため汗をかくのも良くできてる。
先日気温そのものはそれほど高くなかったが、ちょっと動いただけで大量の汗をダラダラとかいてしまった。あまりにひどいので男性の更年期障害ではないかと疑ったが、実は、湿度がすごかったのである。体温を下げるためには大量の汗が必要だったのである。これまた、身体が自律的に動いて体温調整してくれているのである。まぁ、理由もなく異常に大量の汗をかくのは自律神経の不調を疑わなければならないが、通常は正常に機能していることにこれまた感謝である。
考えてみると、人間の身体は不思議である。
食物を口から取り入れて、消化器で栄養分を吸収して見事に肛門から排出している。しかも、水分と固形物を区分してである。固形物は表面を粘膜で覆ってスムーズに排出できるよう工夫されている。考えてみると、毎日排泄をしているがその働きは奇跡に近いものがある。よくこんだけの仕組みを作り上げたものだと思う。食道があり、胃があり、小腸があり、十二指腸があり、大腸があり、これが体の中にコンパクトに収められている。
そして、それぞれのものが共同作業で緊密に連携している。
私がそれをやっているわけではない。自然と知らないままに毎日休むことなく働いている。私ができることは食物を取り入れることと排出することである。せめてこのぐらいはちゃんとしないと勤勉実直な身体機能に申し訳ない気がする。ところが、人間はこのことをいい加減に怠るから身体は病気に向かって悪くなるばかりである。病気を作り出しているのは人間の意思そのものである。身体に罪はない。そんなことを思うこの頃である。
先日脳の検査を受けてきた。
生まれて初めて自分の脳の映像を見た。書物に載っているものとあまり変わらなかったが、これが「自分の」脳である。医師から映像を見ながらいろいろな解説をしてもらった。自慢ではないが、脳の内部はぎっしり詰まっていて、今のところ脳による認知症の恐れは全くないそうである。血管も脳膜も異状ないことを確認した。一度は脳の検査を受けなければならないと思っていたが、これで安心することができた。
右足首のこわばりがなかなか治らないのでこれも検査した。
レントゲン写真を見ると、アキレス腱と骨をつなぐ部分に異常が見られた。写真の異常部分と痛みを感じる部分がぴったり一致したのには驚いた。写真と現物が一致したのである。当然と言えば当然だが、体の中を透過した映像で見ていることに少なからず感動した。結局は炎症が治まって痛みが自然になくなるまで待つだけだが、これを治癒しているのも身体の機能である。大感謝である。最初は痛風だと思っていたが、なかなか治らないので受診した次第である。
自分の心臓の映像を見たことがある。
心臓が動いて、血流が手にとるようにわかる。心臓の弁が固くなってピッタリと閉まらないために血液が少し逆流している。先生によると、「このくらいは年齢相当で問題ない」とのことであったが、心臓の弁は治しようがないし予防方法もない。大掛かりな外科手術かカテーテル治療しかないそうである。自分の身体の耐久性を信じるばかりである。あのように自分の心臓が動いているんだと想像するだけで身体に感謝する気持ちがもっともっと大きくなった。大したものだ。
年齢とともに直りは遅くなっている。
それでも治ってくれて、正常に機能していることに感謝である。その時に一番問題なのは「不安」である。このまま不自由なままで生活しなければならないのだろうかという不安は大きなストレスとなる。このストレスを解消してくれるのが医師の仕事ではないかと思う。命を左右する外科手術は別としてほとんどは自然の治癒力で身体は回復している。医師はその手助けをするだけだが、重要なのは正確な安心情報を与えることと丁寧な説明が重要ではないかと思った貴重な経験となった。
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