オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

何のための裁判員制度

2007年03月04日 | Weblog

裁判員制度の目的がイマイチ判らない。

 「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が平成16年に制定された。5年後には裁判員制度がスタートすると言う。個人的にはその目的がよく判らないが、条文の一番最初に「国民の理解の増進と信頼の向上」と記述してある。また、裏読みをすると、現在の裁判制度は国民の理解と信頼を十分に得ていないようである。その点に関しては納得するが、理解や信頼の前に裁判そのものが閉鎖的な空間でなされ、説明責任を果たしていないと思う。私は有名な裁判官の名前を一人も挙げることが出来ないし、最高裁判所の長官や14人の裁判官の顔さえ見たことがない。

ご他聞に漏れず、動機のひとつが「諸外国でもやっている」ことである。

 アメリカ,イギリス,フランス,ドイツ,イタリア等でも行われていると紹介資料に書かれている。しかし、これらの国と日本は生い立ちが違うだろうと思う。日本は江戸時代の封建制度から一挙に民主主義を取り入れて、日本国民が自分の手で民主主義を勝ち取ったわけではなく制度として導入されただけである。国民思想としては未だに「お上」と「平民」である。裁判の制度も諸外国を模倣して取り入れた借り物で十分に機能していないのが現状であろう。「お上」と「平民」のままでいいとは思っていないが、外国を真似るだけでなく日本には日本の生い立ちに応じたやり方があるだろうと思う。

確かに、借り物は借り物らしく最後まで真似ようという考えもあるが、

 いくら制度だけ作っても中身がないのでは意味がない。今の裁判制度にしてもまだ日本に根付いていないと思う。しかも国民は裁判なんて「お上」がやる事で自分達とは関係ないと思い込んでいる。「国民の理解の増進と信頼の向上」を図るつもりなら、まずは現在の裁判制度を国民に開かれたものにして、国民の関わり方を明確にしてゆく必要がある。理解と信頼が得られない原因は何かを追究すべきである。安易に裁判員制度を取り入れれば全てが解決すると思うのは早計である。変わるべきは国民であると一方的に押し付けるのでなく、その前に国の体制を変えて行かねばならない。

現場の裁判官は判決の時何を悩み、何の助言を必要としているんだろう。

 そこの部分が、国民が関知すべき分野であって、専門的な法律の分野に国民が足を踏み入れるつもりはないし、そんな大それた事ができる筈がない。裁判官の判決に至る行為を最終的にチェックし評価し裁定するだけである。ところが、あたかも国民から選ばれた裁判員が裁判官と同じ能力と権限を持つと勘違いされている。裁判の公判に国民も参加して意見を言う機会が与えられたことと、裁判官の独裁を防止するため、多数決に参加するだけである。

裁判員制度なんか作らなくても、

 まずは、裁判の内容を情報公開して、内容が適切であったかをモニターできる環境を少しずつでも整備してゆくべきである。人権侵害の恐れがあるので扱いが慎重なのは判るが、結局はその部分が不十分なため国民の目から覆い隠されて密室で行われている感覚が拭いきれない。知る手段としては直接の傍聴しかないのである。しかも裁判所にはカメラもビデオも録音機さえも持ち込む事ができない。これで理解と信頼が得られるわけがない。

日本国政府のやり方で、

 まずは、法律を作って、法律があるからと無理やり強制する。法律の趣旨も目的もあるべき姿も明確でなく、決められているのは、やり方と手続きと否応ナシの強制である。誰が言い出したかは知らないが、日本国民は誰も裁判員制度を要望していない。基本的には、選ばれた国民は自分の意思で自分の意見を率直に発言し、自分の判断で多数決に参加すればいいし、結果に直接の責任はないはずである。単なる国民の代表としてのリトマス試験紙に過ぎない。それで問題になるなら法律そのものがおかしいし、そんな法律を作って判決に異議を唱える方こそおかしい。

問題は、評決のあり方だと思う。

 何でこうなったのか背景説明は一切ないが、最終的には多数決である。裁判官3名に対し裁判員6名。ただし、裁判官または裁判員それぞれ1名以上の賛成が必要とある。極端な事を言えば、7人が棄権して裁判官1名と裁判員1名が賛成すれば判決は確定する(何か恐い)。今までは合議制でたぶん最終的には裁判官3人の多数決だったんだろうが、これからは9名の多数決で決まる。裁判官2名と裁判員2名が反対し、裁判官1名と裁判員4名が賛成しても判決は確定する(何か恐い)。 反対に裁判官3人が全員反対するか裁判員6人が全員反対すると判決は否決される。この多数決は果たして正しいのだろうか?

次に、裁判員制度が適用される裁判である。

 「死刑または無期懲役若しくは禁錮の罪に係わる事件」とある。これも背景説明がないのでどうしてこうなったかわからないが、結局は重罪の刑事裁判は裁判官だけで決定するには荷が重いと言う事だろうか。それならば国民から選ばれた裁判員との合議で決めようと言うことだろう。裏を返すと裁判官の責任回避でもある。前述したが、裁判員制度をやるとしても裁判官の独裁を阻止する手段を国民が保持する事であって、裁判そのものは裁判官が責任を持ってやってもらわなければならない。国民は判決を拒否する手段を持っただけである(これまでは国民審査と弾劾裁判しかなかった)。

裁判員制度に対する考え方は二つある。

 裁判を官僚主義から国民に開かれたものにしようとする考え方と、官僚主義の裁判に対する不満を国民参加型に変えて納得させようと言う考え方である。流れとしては後者である。しかし追求すべきは前者で、現在官僚主義でコチコチに固められている日本の裁判制度をどうにかしなければならない。その対策が裁判員制度だとはどう考えても思えない。もっとやるべき事は他にある気がする。しかし、国民から乖離した官僚主義の裁判官の判決にストップをかけられる手段ができたのは評価できるが、選出された一国民に果たしてどれ程効果を期待できるかは疑問である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 振り込め詐欺 | トップ | 抗生物質 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事