この頃、いわゆる優等生があちこちで問題を起こしている。
よく観察してみると、受験地獄をかいくぐって生き残った人達であり、一様に学歴がすばらしいが、経歴ではまだ十分な実績を残していない20から30歳台の人達である。彼らの得意とするところは、要領よく試験で高成績を残すことであり、短期間で与えられた目標を達成することも上手であり、どのようにすれば人から注目され評価されるかも心得ている。
何が問題なのかを考えてみると、
自分のしっかりした考えを持っていないことであろうか。他人に評価される、もしくは短期間で業績を上げることしか考えていない。反対に言うと、他人に評価されることしか興味がないし、短期間で業績を上げられることにしか関わらない。評価がどうあれ、業績がどうあれ自分はこれをやりたいという気概はない。自己の核心となる部分がすっぽり抜けていて、周囲に流されて現在があるような印象である。そこでは周囲の環境に順応して顔色をうかがいながら結局は自己喪失して、単に上昇志向だけでもがいている姿しか見えない。
点取り虫のどこが悪いのだろう。
まずは、点を取ることは学問を成就することの手段もしくは理解度を判定するための指標にしか過ぎないが、この人達は点を取ることを目標としていることである。学問を成就するという部分がすっぽり抜けている。学問をするつもりなら、「何のどの部分をどの程度」という具体的な目標が生じるが、彼らにあるのは点を取るための参考書もしくは試験の傾向と対策しかない。よって知識の内容は薄っぺらですぐに化けの皮がはがれるし、少なくとも自分で思考したもしくは研究したもしくはまとめあげたようなものは皆無で、ほとんどが受売りである。
次に問題なのが、目標が試験だけであることである。
試験である程度の成績を収めて、終わってしまえばそこまでだという考え方である。現実社会の学問なり仕事はどこまで行っても終わりはない。中間目標はあってもそれは通過点に過ぎず、未来永劫続くものなのである。中間目標を達成してもそのすぐ後に次の目標が現れる。いい加減に中間目標を定めて達成しても次の目標にはつながらないし、手を抜いた部分はそのまま残ってしまう。組織で仕事をする場合は、やった仕事には最後まで責任がついてくる。その場限りを切り抜ければ何とかなると思ったら大間違いである。
政治家がよく国民の声を聞きその意見に従うという。
聞こえはいいが、自分たちの意見は見えてこない。本来であれば、自分たちのすばらしい意見で国民を引っ張ってゆくのが政治家である。具体的に何をしなければならないかの核心部分がすっぽり抜けていて、国民は我々が何をすれば納得してくれるのかばかりを考えている。国民の意見をいくら聞いても具体的に行うべきことは出てこない。それを考えるのが政治家であり、その成果で国民は評価を下す。国民の言いなりになってろくなことはない。これまでの過去が国民の言いなりになってきた失敗の歴史ではないか。
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