オクトシティー正直村

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立身出世

2019年03月07日 | Weblog
立身出世は昔の身分社会では秩序を破壊するもので認められなかった。

 近代になって能力のある人間が競争によって立身出世することができるようになった。立身出世が盛んに奨励されたのは明治以降である。意外と私たちはこのことに気づいていない。そしてこんな過去の経緯から未だに西欧から取り込まれた能力主義に対して個人としては違和感があり、能力主義に徹した人間関係には嫌悪感があるようである。能力を露骨にひけらかしたり、アピールしたりすると仲間内から嫌われてしまう。いまだに昔ながらの身分社会の考え方が底流に流れているようである。

立身出世とは、

 社会的に高い地位について有名になることと広辞苑にある。現代社会の日本で「立身出世」を口にする人はあまりいない。有名になることや金儲けは目指すかもしれないが社会的に高い地位はあまり求めていないようである。反対に社会的に高い地位は敬遠してしまう。堅実な普通のそこそこの職業を選択して自由気ままに生活したいというのが本音ではないだろうか…。社会的に高い地位に興味を示さないし憧れもないようである。またかっこいい職業や簡単に金儲けできる職業には興味があるようである。

「社会的に高い地位」自体がその威厳と価値を下落させているようでもある。

 近代になった頃、皆が目指した「社会的に高い地位」は現代では地に落ちたようでもある。どうしてこうなったんだろう。「社会移動」という言葉がある。職業によって階層的に区分された社会的地位を移動することを言う。社会的移動には垂直的と水平的がある。立身出世とは垂直的移動である。立身出世が少なくなったということは、水平的移動が多くなったと考えることができる。ガッチガチの身分社会では水平的移動が主体だったのだろう。高い地位への道は閉ざされてしまい、地位は世襲される。

社会移動のもう一つの要素は社会構造である。

 社会構造が変化すれば社会移動が発生する。社会構造は常に変化しており、これに伴う社会移動は黙っていても行わざるを得ない。現代社会は社会構造の変化に伴う社会移動の要素も増大しているのかもしれない。社会構造を変化させ社会移動を促進すれば経済活動が活発になるのかもしれない。政府が「構造改革」「構造改革」と叫んでいるのはそんなところに端を発しているのかもしれない。しかし、主体は人間であり、誰かさんに社会構造を節操なく変えられたのでは困ってしまう。

問題は「立身出世」である。

 近代の初期に目指していた「立身出世」の心意気を現代にも取り戻さなければならない。そのためには、能力のある人間が競争によって社会的地位の向上が図れる環境を整えなければならない。そのためには「立身出世」を推奨し称賛し後押しする社会構造が必要なのだろう。それにも増して「立身出世」の目指す社会的地位を価値のある威厳と尊敬を与えるものにしなければならない。まずは、政治家かな?社長さんかな?学長さんかな?博士かな?お医者さんかな?etc.

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