政治を見ても経済を見ても社会現象を見ても、
一体何をしようとしているのかが解らない事象が増加している。自分の意志に基づいて何をしようとしているのかを明確に堅持するのではなく、周囲の変化に合わせて柔軟に対応するのがこの頃の上手な処世術のようである。自分のやろうとしていることをあらゆる手段を講じて追求するのであれば、「自分のやろうとしていること」が明確に表出するはずである。周囲の状況にあわせて自分の意思に反して右往左往している様子はどう考えても自分の意志を堅持しているとは言い難いし、何をやっているのか皆目見当もつかない。主体となるのは人気取りであり点数稼ぎであリ金儲けであろうが、そのためになりふり構わずのた打ち回っている状況には呆れてものも言えない。
円高ドル安であるという。
円安の時には円安で儲かる商売を、円高の時には円高で儲かる商売をするらしい。これに柔軟に対応するのがビジネスの常道だと言う。でも前者と後者の商売に統一性は見られない。結局何をしようとしているのか理解できない。円安の時に立ち上げた商売は儲からないことを理由にホッタラカシである。ホッタラカされた人達はどうなるんだろう。円高の時に儲かる商売はいずれ円安になれば同じようにホッタラカシの憂き目に会うのだろう。これって本当に正常な経済活動なんだろうか?自分の地位役割に応じた自分のなすべきことを一貫して追求するのが本来であろうし、円高であっても円安であっても状況に応じて最適のやり方を一貫して追求するのが本来ではないだろうか。あまりにも刹那的なかつ無節操な行為にがっかりとしてしまう。
国民栄誉賞は宝籤ではない。
なでしこジャパンに国民栄誉賞が贈られると言う。反対するつもりはないが、試合の結果を見てみると、運に左右されていたと言う感覚は拭い去れない。運も実力の一部と言う人もいるが、少なくとも決勝戦では実力は五分五分であったことに間違いない。選手達もそう思っているだろう。選手達は次のオリンピックでのメダルを目指している。それなのに早速「国民栄誉賞」である。次でメダルをとっても国民栄誉賞はないし、これ以上の栄誉もない。いったい何をしようとしているんだろう。私が思うに、今回は各自治体の表彰で十分で、国民栄誉賞は次のオリンピックの結果で受賞してもいいのではないかと思う。何をしようとしているの?と疑問をはさんでしまう。結局現政権がオリンピックまで待てないんだろう。その真意は人気取り?点数稼ぎ?話題への便乗?・・・。
与野党連立が騒がれている。
しかし、連立するかしないかは手段に過ぎない。肝心の政治論議はどうなっているのだろう。消費税を増税するのかしないのか(将来負担をどうするのか)、少子高齢化に対して高齢者を優遇するのか若者を優遇するのか、原発を継続するのか中止するのか、グローバル化を図るのか国内振興を図るのか、領土問題にどう対処するのか(強行手段か柔軟姿勢か)、親米を継続するか親アジアを開拓するか、などが気になるところだが、大連立が騒がれるだけで中身は杳として見えないし、相互の妥協だけで連立を実現しようとしている(国民不在のまま)。
国民の犯罪も意味不明である。
何をしようとしているの?と疑問に思うことこの上ない。犯罪に一貫性がないと言うのもおかしいが、犯罪者の一貫した意思が感じられない。少なくとも私には理解できない。単なる一過性の激情や思い込み、偏見、偏狭、自己中心的勘違いなどの結果に思えて仕方ない。自分自身の意思と真面目に本気で対話したんだろうかと疑問に思えてしまう。本当に対話できたらこのような事態には陥らなかっただろうと思うこと仕切りである。このような事件に巻き込まれた人達が可哀想であるし、このような事件が生起する世の中が異常に思える。誰がこのような思想を醸成しているのだろうか・・・。世の中全体がこのような雰囲気なんだろう。
一体何をしようとしているのかが解らない事象が増加している。自分の意志に基づいて何をしようとしているのかを明確に堅持するのではなく、周囲の変化に合わせて柔軟に対応するのがこの頃の上手な処世術のようである。自分のやろうとしていることをあらゆる手段を講じて追求するのであれば、「自分のやろうとしていること」が明確に表出するはずである。周囲の状況にあわせて自分の意思に反して右往左往している様子はどう考えても自分の意志を堅持しているとは言い難いし、何をやっているのか皆目見当もつかない。主体となるのは人気取りであり点数稼ぎであリ金儲けであろうが、そのためになりふり構わずのた打ち回っている状況には呆れてものも言えない。
円高ドル安であるという。
円安の時には円安で儲かる商売を、円高の時には円高で儲かる商売をするらしい。これに柔軟に対応するのがビジネスの常道だと言う。でも前者と後者の商売に統一性は見られない。結局何をしようとしているのか理解できない。円安の時に立ち上げた商売は儲からないことを理由にホッタラカシである。ホッタラカされた人達はどうなるんだろう。円高の時に儲かる商売はいずれ円安になれば同じようにホッタラカシの憂き目に会うのだろう。これって本当に正常な経済活動なんだろうか?自分の地位役割に応じた自分のなすべきことを一貫して追求するのが本来であろうし、円高であっても円安であっても状況に応じて最適のやり方を一貫して追求するのが本来ではないだろうか。あまりにも刹那的なかつ無節操な行為にがっかりとしてしまう。
国民栄誉賞は宝籤ではない。
なでしこジャパンに国民栄誉賞が贈られると言う。反対するつもりはないが、試合の結果を見てみると、運に左右されていたと言う感覚は拭い去れない。運も実力の一部と言う人もいるが、少なくとも決勝戦では実力は五分五分であったことに間違いない。選手達もそう思っているだろう。選手達は次のオリンピックでのメダルを目指している。それなのに早速「国民栄誉賞」である。次でメダルをとっても国民栄誉賞はないし、これ以上の栄誉もない。いったい何をしようとしているんだろう。私が思うに、今回は各自治体の表彰で十分で、国民栄誉賞は次のオリンピックの結果で受賞してもいいのではないかと思う。何をしようとしているの?と疑問をはさんでしまう。結局現政権がオリンピックまで待てないんだろう。その真意は人気取り?点数稼ぎ?話題への便乗?・・・。
与野党連立が騒がれている。
しかし、連立するかしないかは手段に過ぎない。肝心の政治論議はどうなっているのだろう。消費税を増税するのかしないのか(将来負担をどうするのか)、少子高齢化に対して高齢者を優遇するのか若者を優遇するのか、原発を継続するのか中止するのか、グローバル化を図るのか国内振興を図るのか、領土問題にどう対処するのか(強行手段か柔軟姿勢か)、親米を継続するか親アジアを開拓するか、などが気になるところだが、大連立が騒がれるだけで中身は杳として見えないし、相互の妥協だけで連立を実現しようとしている(国民不在のまま)。
国民の犯罪も意味不明である。
何をしようとしているの?と疑問に思うことこの上ない。犯罪に一貫性がないと言うのもおかしいが、犯罪者の一貫した意思が感じられない。少なくとも私には理解できない。単なる一過性の激情や思い込み、偏見、偏狭、自己中心的勘違いなどの結果に思えて仕方ない。自分自身の意思と真面目に本気で対話したんだろうかと疑問に思えてしまう。本当に対話できたらこのような事態には陥らなかっただろうと思うこと仕切りである。このような事件に巻き込まれた人達が可哀想であるし、このような事件が生起する世の中が異常に思える。誰がこのような思想を醸成しているのだろうか・・・。世の中全体がこのような雰囲気なんだろう。
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