オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

何が何でも悪いことは悪いという勇気

2019年06月02日 | Weblog
無差別殺人が続いている。

 加害者には加害者の事情があるのだろう。しかし、他人を死に追いやることや危害を加えることは許されることではないし、幼い子供でもあっても理解できるはずであり、何そでそのようなことが理解できなくて実行に移されるのだろうと思うことしきりである。幼少期に歪んだ生き方をしたのだろうか?そうでもなさそうである。子供の頃は普通の人間であったようである。何故このように歪んでしまったのだろう。

メディアではこの事件のきっかけと理由を明らかにしようとしている。

 でも、きっかけや理由は直接関係ないと思う。現実に起こした殺人殺傷事件そのものは間違いないのであり、その責任は逃れることはできない。きっかけや理由が理解できても最終的な行為は許されることではない。他人の命を奪ったり、傷害を与えたりしているのである。そういう行為は許されないのである。そういう行為そのものが人間として絶対に許されないのである。

きっかけや理由はいくらでもある。

 そのようなきっかけや理由があってもほとんどの人はそれを乗り越えて何とか人間としての尊厳を保っている。どんな境遇にあっても他人の命を奪ったり他人を傷つけたりすることにはならず、世界のため社会のため地域社会のため家族のため周囲の皆のためにより良い社会を目指して努力しているはずである。そこのところの結びつきがなくなっていることに問題がありそうである。

他人の命を奪ったり傷つけたりする行為は人間として許されない。

 はっきり言って「人間」ではない。このことははっきりと言明しなければならない。どんなことがあろうとも許されない行為なのである。このことを幼少期から教え込まなければならない。このような教育が十分なのかも再確認しなければならない。いくら対処療法みたいな対策をしてもしょうがない。このような人間失格の人物を生み出さない努力をすることの方が重要なのだろう。

51歳で自立できず引きこもり気味の生活をしていたそうである。

 このような人でも生きて行ける日本の平和な社会でもある。本来であれば少なくとも生きるために一生懸命に働き、自分の生活が成り立つように努力するのが人間として当然のことである。いくら貧しくても自立した生活を守っていれば何とか生きて行ける平和な日本の社会なはずである。世界にはいくら必死に努力しても生きて行けない不幸な人達がたくさんいる。何を甘えているのかと思うことしきりである。

一億人以上の国民の中にはこのような人も必ず存在する。

 このような人に関係した人は、はっきり言って「事故」だと思う。それなのにメディアはセンセーショナルに事件の報道をする。今現在でもいろいろな事故で死傷している人は日本全国にたくさんいるはずであるが、この人達を特別にメディアが報道することはない。単なる通常の事故であるからである。しかし、人命は同等であるはずである。何故このような差別が生じるのであろう。メディアの商売道具にしてはいけないと思うことしきりである。

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