子供が「喉が渇いたジュース飲みたい」とおねだりした時、
親の対応は、「はいはい」と要求通りに買い与える、「我慢しなさい」と拒絶する。要求を無視する等があるだろう。常に要求通りに買い与えるのも問題だし、常に拒絶するのも問題だし、常に無視するのも問題である。じゃあどうすればいいのか。答えは、対応はその時その場の状況によって変わり、答えはひとつではないのである。親はその時その場の状況を自ら判断して答えを出すのである。子供が本当に喉の渇きを訴えているのか、単なる甘えからくるおねだりか、この場は我慢することを教えるのか、親の愛情を示すのか、時には突っぱねて無視することにより厳しさを教えるのか等である。状況を判断するためには、状況を明確に理解しておく必要がある。そのためには親子の親密な関係が不可欠である。次に状況判断するためには目的が必要である。何のためにどういう理由でこのような対応をするのかが明確である必要がある。そのためには、子供に対する全体としてのしつけの構想が必要である。
子育てのマニュアル本は、あまり状況判断については触れていない。
「自分で状況判断しなさい」ではマニュアルにならない。上記に例をとれば、一番簡単なのは「要求があったら答えてやりなさい」である。「我慢しなさいと拒絶する」のは理由を必要とするし、その理由を個々のケースで納得させるのは難しいし、親としても我慢させるのは不快感が残る。「要求を無視しなさい」はちょっとマニュアルにはなじまない。何も考えずにマニュアルに頼れば、子供から要求があったら要求通りに応えることになる。理由は「子供が要求したから」であり、要求に応えることにより親としての役割は果たし親の愛情を示すことができる。何も問題ないようである。しかし、これはその場限りだから許されることであり、長期的かつ大局的立場から広範囲に考えるとたくさんの問題が生じてくる。子供とすれば要求すればその通り応えてくれるのが当然と思い込んでしまうことになる。
教育は、アメとムチを使い分けることでもある。
こんなことを言うと反論がたくさんあるだろうが、常に何も考えないで目的もなくアメばかり与えていても教育にはならない。本当に必要な時にアメを与え、アメを獲得するためには何らかの努力が必要なことを教えなければならないし、時には要求通りには行かないこと、悪いことは認められないこと、周囲の環境に左右されることをムチをもって教えてやらなければならない。要求しても最悪の場合は無視され拒絶されることもあることを教えなければならない。そのような経験を経て我慢すること、他人を思いやること、要求を実現するために努力すること、要求に応えてくれたら感謝することを身につけて行くと思う。そのような人間に育てるために自分の子供をよく観察し、何を教育していかなければならないかを見極めて、理想像と長期的な視野を持って子供に接していかなければならない。
子供は不完全な人間である。
自然のままに自由奔放に育てたら不完全な人間のままになってしまう。完全に近い人間に育てるのは大人の責務である。そのためには教育が不可欠である。教育は学問だけではない。まずは社会人としてのしつけ教育であり、自立できるための職能教育であり、最後に生きる知恵を与える学問である。日本では最も重要なしつけ教育がおろそかになり、自立できない若者が増大し、学問だけの頭でっかちの人間ばかりになりつつある。その原因の主要な部分は、異常なほどの甘やかしである。甘やかしていることは裏を返せば何も教育していないことである。甘やかされている側は自由奔放に何でもできるのが当然と勘違いし、そのようなことができる我が儘を感謝することもない。
何かを他人にお願いする時、
基本的には、無視されても文句は言えない。少しでもやってくれれば大成功であり、要求を全て満たしてくれれば大感謝である。ところが、この頃の日本人は、「頼んでも無視された」「なかなかやってくれない」「思っていた通りにやらない」などと文句を言う。まるで被害者のような言動である。あまりにも他人に依存している姿が見えてくる。反対に、「無視されても当然」「やってもらうためにはどうすべきか」「やってもらって感謝」と考えなければならないと思う。現代の子供についても同じようなことが言える。「無視される」「やってもらえない」中で一生懸命努力して辛うじて実現した自分の要求は貴重で感謝の気持ちがいっぱいになるはずである。そんな経験と場面を積み重ねることによって人とのつながりを学んで行くのだと思う。
今の日本人は子供に対して甘やかしすぎだと思う。
甘やかしすぎるのは、よく考えてみると何も教育していないことと同じであり、子供の要求を何でも実現してやることは単なる一方通行で双方向のコミュニケーションがないに等しい。ある時は拒絶し、ある時は無視することによりお互いの関係が生まれてくる。「子供の要求を無視する」というと、今の親たちは「そんなこととんでもない」と言い出すかも知れないが、心を鬼にして無視されることも教えなければならないのである(永遠に無視するのは問題だが・・・)。相手に対してどういう要求の仕方をすればどういう話し方をすれば関心を持って応えてくれるかに一生懸命思考を凝らすことが子供達を成長させるのである。たくさんの試練を与えれば与えるほど子供は逞しく育つ。苦労させるのは可哀想だと考えることが子供をダメにしてしまう。
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