
通勤電車で時々あの男に会う。
私は千葉から東京へは座って通勤している。そして、いつもの駅でまたあの男が登場した。「膝が痛いんでしゅ、膝が痛いんでしゅ」と泣きそうな声で座っている人の前で懇願する。見たところ足が不自由な感じは全くしない。しかもただ訴えるだけで、「申し訳ありませんが」とか「席を譲って下さい」とか「お願いします」の一言もない。そして席を譲ってもらうと当然のように座って何もなかったような平然とした顔をしている。毎回のことなので何かうさん臭いなと思っていた。
いつもは、私のところまでは来なかったが、
あちこちで無視されて私の前に来た。私は「私も膝が痛いんです」と答えてやった。すると、むっとした顔をして隣に懇願した。隣の若い女の人は耐えられなくて席を譲って、結局その男は私の横に座った。座るやいなや私の方に顔を向けて「ばぁか、ばぁか、ばぁか、ばぁか、ばぁか・・・」と何回か繰り返した。私はその挙動におかしくなって笑ってしまった。あぁ、この人はこんな人なんだと納得し、その後は無視した。席を立った女の人に席を譲ろうかと捜したが、遠くへ逃げ去って見当たらない。
この一部始終を満員の乗客は見ていた。
私は何も恥ずかしいことはしていないし、毅然とした態度を示しただけで、この男の侮蔑にも耐えた。耐えたというよりもこんな男から侮蔑されても何とも思わない。これで腹を立てたらこの男とおんなじレベルだということになる。幼児以下で相手にもならない。そんな気持ちで座っていたら、この男は周囲の雰囲気に居たたまれなくなったのか次の駅でそそくさと席を立ってスタスタとどこかへ行ってしまった。
この男は毎回この手で座る席を獲得していたのだろう。
そして、これが通用しているんだろう。そこに「私も痛いんです」と言われて、自分の一方的な主張に気づいたのかもしれない。こういうことは相手と自分の関係で成り立つし、本来であれば相手が自主的に席を譲るか、お願いして席を譲ってもらうしかない。半ば強制的に強要して、譲ってもらえないと馬鹿呼ばわりするのは精神構造がおかしいとしか思えない。少し知的な障害があるのかな?とも思ったが、身体に障害はなさそうなので、敢えて毅然とした態度で拒絶した。彼には良い薬になったと思っている。
誤解してもらっては困るが、
私は現に左膝を痛めていて、歩くこともできなくて入院したし、現在も治療中で痛みが残っていて、少しびっこを引いている。短時間だったら我慢もできるが、長距離通勤には座らないとちょっとつらい。そのことを正直に言っただけである。たぶん彼は私がウソをついていると思ったに違いない。それに対し私が平然と自信を持った態度で接したので、肩透かしだったのかも知れない。自分に非がなければ何も言い訳したり動揺したり恥じたりすることはない。
次回からも彼はおんなじ事を繰り返すのだろうか?
少なくとも、「申し訳ありませんが」とか「席を譲って下さい」とか「お願いします」の一言でも加われば進歩があるのだが・・・。この次彼に会うのが楽しみでもある。たぶん、私のところには寄り付かないと思うが、遠くから観察して見たいと思っている。世の中には彼のように一方的に要求するだけの人がたくさんいる。要求するためには要求できるための自分のなすべきことをしっかりと果たさなければならない。そんなことを思った事件であった。
と、ここまでは先週書いたんだが、今週もこの男を見かけた。
相変わらず同じ行動をしていた。そして同じように恥も外聞もなく「膝が痛いんでしゅ、膝が痛いんでしゅ」そして最後は「ばぁか、ばぁか、ばぁか、ばぁか、ばぁか・・・」と繰り返していた。一体なんなのだろう。理解に苦しむが、とても付き合ってられない。一つだけの進歩は、私のところには来なかったことである。かかわりたくもない。ということで、この話題はこれでお終いにする。
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