若い頃は意識する事なく自然に排泄がなされていた。
ところが年齢を経ると意識して排泄することに心掛けないと体内に老廃物が溜まってあちこちで悪さをすることになる。トイレを我慢することは以ての外で、反対にトイレを促す努力をしなければならないし、老廃物を処理する臓器が順調に機能するように生活習慣を是正して努めて負担をかけないようにしなければならない。
食生活も無駄なものが体内に残留しないように、
機能を正常に保つに必要な栄養素を欠かさないように気をつけなければならない。また、体は動かさないと錆び付いてしまうので、常に適度な運動も心掛けなければならない。こんな年齢になったんだなぁとつくづく思うこの頃である。この頃は食べる目的が変わってきた。⓵腸内フローラに餌を与える⓶消化器官の機能を正常に保つ⓷排便を促す⓸身体に栄養を摂取する⓹五感を駆使して脳で食欲を満たす、となり、栄養摂取と食欲は最後の方になっている。
人間を苦しめるものは疾患と呼ばれるから
飢餓も疾患である。飢餓への薬剤は飢餓を鎮めるものである。それは食事であり、これによって飢えは癒される。渇きは飲料によって癒されるし、飽満は排泄により、涸渇は飽食により、疲労は休息により癒される。これらの何でもないことが生命を維持するために重要であり、医療技術を駆使した対症療法や手術が生命維持に重要な要素ではない。
多少の機能低下は、まだましな方かもしれない。
身体機能に障害があるわけではなく、まだ正常な範囲で機能していることに感謝しなければならない。いずれはあちこちが故障して機能しなくなり身体機能に障害が生じてくることになる。こうなると我慢との戦いであろう。これまでも病気になった時不自由を感じたことは度々あったが、これからはこのような不自由が怒涛のように押し寄せてくるのかもしれない。
改めて、私よりも年輩の人達を尊敬してしまう。
先輩の方々はこれらの怒涛のごとく押し寄せる不自由に耐えて精力的に生を謳歌している。それらの障害を当然のごとく受け入れて、なおかつより良い人生を目指してさらに日々精進している。頭の下がる思いである。そこに生を全うする貴重な生き方が具現され、後輩にその生き甲斐を伝えている。そういう中にあっても生き続ける生きざまに多くの人が勇気づけられるし、命の大切さと感謝の心を教えてくれる。
私も含めてであるが、
年老いた先輩の方々を尊敬する心を本当に持っているのだろうか?少なくとも若い頃はそんな気持ちはあまり持っていなかったし、物わかりのいいお爺ちゃん、お婆ちゃんとしての存在でしかなかったかもしれない。五体満足で何も不自由がないことへの感謝の心もそれほどなかった。年輩者から施しを受けるのは当然で、本当に感謝する気持ちは薄かったように思う。
自分が老齢に差しかかって、
昔のあの頃のご老人はこのようにして生を営んでいたんだと改めて思い起こして見ると、感謝と畏敬の念が足りなかったなぁと反省しきりである。随分と失礼な言動もあったんだろう。若気の至りとはこのことだろう。仕方のないことではあるが、今自分がその入り口におり、寛容と我慢の心構えを試されているのであろう。意固地な頑固親爺にはなりたくないものである。
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