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京都のお寺を観てまわると襖や庭などに登場するのが“狩野派”。
今までは漠然としていた狩野派にまつわる歴史の感覚が
この狩野永徳展をきっかけにして関連が少しできてきた(^^;
京都で室町時代中頃に起きた“応仁の乱”。その西軍の本陣(“西陣”)
が西陣織の名前の由来なのだが
その頃狩野派の始祖である狩野正信が室町幕府の御用絵師として活躍する。
そして正信の息子の狩野元信が狩野派の基盤を確かなものにしていくのだが
元信は孫の狩野永徳に非凡な才能をみて英才教育をほどこしたとのこと。
そして時代は安土桃山。狩野永徳が“怪物絵師”として一世風靡する。
障壁画最高の技術と表現力を持った“天才”と言われる永徳の特別展が
保存の為の諸事情を考えて全国を巡ることを避け
京都限定、京都国立博物館で開かれた。
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国宝5作品を含む国内外の永徳の名品を網羅したこの展覧会は
その開催を“奇跡”とまで表現されている。
私が向かったのは水曜日の午後。
いきなり
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並ぶのがニガテなワタクシ・・・入り口の人に聞くと
「夕方か閉館1時間前ぐらいの7時ごろならあまり並ばないですむかも。」
1時間で観れるかなぁと不安に思いながらその日の夜19:00に再チャレンジ。
しかーし・・・ その日は閉館時間がナント18:00であった
入り口の人は翌々日金曜日からの閉館時間を言っていたのだ。
そして二日後の朝9時前(開館30分前)に再々チャレンジ。
が・・・既に門の外に長蛇の列。。。
ここでめげてなるものかと突撃してめでたく約30分後には館内に入れた
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展示品は中央室のぐるり10室に展示されている。
その詳細はこちら
入っていきなり花鳥図襖絵の梅の老木に圧倒される。
色をも感じる墨絵の無限性に驚愕。
そして“すごい!”と感じたのは絵の中に登場する人や動物達の“目線”。
親孝行する息子の慈愛のまなざしは細い目からまっすぐ親へ向かい、
虫を捕獲しようと身構える鳥の視線の先にきちっと虫が飛んでいる。
永徳の表現する絵は止まっていないのだ。
空間や時間、季節の移ろい、そして漲る力をその描写で表現していた。
扇の小さな世界にも描かれる微細な表現と構図の美しさ、優雅な自然の息吹。
高級扇屋としての生業も持っていた狩野派は為政者に依頼される障壁画とは
異なる手に納まる扇面にもその才能を発揮している。
そして神経質そうな性格までうかがえる時代の天下人織田信長の像。
描いている時の緊張感が伝わってくる。
さらに金色の雲の間に見え隠れする洛中洛外の喧騒。
ここはもっとも混雑した場所。
何せ巨大な屏風に京都の名所や祇園祭の鉾などなど細かく描かれていて
ついその位置関係や知っている場所を追いたくなる。
・・・当然のように屏風前に張り付いて動かない御仁も出てきて
会場案内係がしつこく「譲り合って移動していってください!!!」と声をかけても
その男性はしらんぷり。。。
あげく「オレはこれを観に来たんだ!!」と逆ギレ
ジコチューな御仁でした。
そして狩野永徳といえば唐獅子図。(この文冒頭のサムネイル)
実物の大きさは高さは2メートル余。観るものを圧倒する。
この豪快さ、超弩級の迫力に接した時、この時代の為政者達が
彼に絵を描かせたがった理由が感じられた。
しかし、その為政者が依頼した多くはお城内の障壁画だったために
永徳の絵たちは政権が交代する際にお城ごと消えた。
もし、安土城が当時のまま残っていたら100を越える永徳筆作品が観られたかもしれない。。。
ちなみにこの『唐獅子図屏風』は国宝ではないそうだ。
秀吉の座する後ろにあったというこの絵は
その後毛利家に贈られ、明治期に皇室へ献上されたので“御物”。
そして最後は晩年(没年)の作とされている、国宝『檜図屏風』。
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身悶えするような枝のうねりはその頃の永徳の葛藤を感じてしまう。
48歳で過労死してしまう短くも太く生きた人生の最後に
彼が思い描いていたものはいったい何だったのだろう。
全て観終わって一時間半強。
博物館を出ると不思議なことにまた永徳の絵を観たくなった。
国宝の『花鳥図襖』は大徳寺聚光院の方丈にレプリカがあるらしい。
今年5月に実物保存のためにはめ替えられたとの事。(実物は京都国立博物館に所蔵)
後世に残していかなければならない絵なので止むを得ないのかもしれない。
実際、御住職達も少しほっとしているだろう・・・
(お掃除のときに襖を破いちゃったらタイヘンww)
レプリカでも今回の展覧会の配置とは違い、実際に襖として部屋のぐるりを
絵が囲んでいるようだ。
大徳寺なら家からも近い。
紅葉見物を兼ねて近々観に行ってみようか。。。
今までは漠然としていた狩野派にまつわる歴史の感覚が
この狩野永徳展をきっかけにして関連が少しできてきた(^^;
京都で室町時代中頃に起きた“応仁の乱”。その西軍の本陣(“西陣”)
が西陣織の名前の由来なのだが
その頃狩野派の始祖である狩野正信が室町幕府の御用絵師として活躍する。
そして正信の息子の狩野元信が狩野派の基盤を確かなものにしていくのだが
元信は孫の狩野永徳に非凡な才能をみて英才教育をほどこしたとのこと。
そして時代は安土桃山。狩野永徳が“怪物絵師”として一世風靡する。
障壁画最高の技術と表現力を持った“天才”と言われる永徳の特別展が
保存の為の諸事情を考えて全国を巡ることを避け
京都限定、京都国立博物館で開かれた。
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国宝5作品を含む国内外の永徳の名品を網羅したこの展覧会は
その開催を“奇跡”とまで表現されている。
私が向かったのは水曜日の午後。
いきなり
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並ぶのがニガテなワタクシ・・・入り口の人に聞くと
「夕方か閉館1時間前ぐらいの7時ごろならあまり並ばないですむかも。」
1時間で観れるかなぁと不安に思いながらその日の夜19:00に再チャレンジ。
しかーし・・・ その日は閉館時間がナント18:00であった
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入り口の人は翌々日金曜日からの閉館時間を言っていたのだ。
そして二日後の朝9時前(開館30分前)に再々チャレンジ。
が・・・既に門の外に長蛇の列。。。
ここでめげてなるものかと突撃してめでたく約30分後には館内に入れた
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展示品は中央室のぐるり10室に展示されている。
その詳細はこちら
入っていきなり花鳥図襖絵の梅の老木に圧倒される。
色をも感じる墨絵の無限性に驚愕。
そして“すごい!”と感じたのは絵の中に登場する人や動物達の“目線”。
親孝行する息子の慈愛のまなざしは細い目からまっすぐ親へ向かい、
虫を捕獲しようと身構える鳥の視線の先にきちっと虫が飛んでいる。
永徳の表現する絵は止まっていないのだ。
空間や時間、季節の移ろい、そして漲る力をその描写で表現していた。
扇の小さな世界にも描かれる微細な表現と構図の美しさ、優雅な自然の息吹。
高級扇屋としての生業も持っていた狩野派は為政者に依頼される障壁画とは
異なる手に納まる扇面にもその才能を発揮している。
そして神経質そうな性格までうかがえる時代の天下人織田信長の像。
描いている時の緊張感が伝わってくる。
さらに金色の雲の間に見え隠れする洛中洛外の喧騒。
ここはもっとも混雑した場所。
何せ巨大な屏風に京都の名所や祇園祭の鉾などなど細かく描かれていて
ついその位置関係や知っている場所を追いたくなる。
・・・当然のように屏風前に張り付いて動かない御仁も出てきて
会場案内係がしつこく「譲り合って移動していってください!!!」と声をかけても
その男性はしらんぷり。。。
あげく「オレはこれを観に来たんだ!!」と逆ギレ
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ジコチューな御仁でした。
そして狩野永徳といえば唐獅子図。(この文冒頭のサムネイル)
実物の大きさは高さは2メートル余。観るものを圧倒する。
この豪快さ、超弩級の迫力に接した時、この時代の為政者達が
彼に絵を描かせたがった理由が感じられた。
しかし、その為政者が依頼した多くはお城内の障壁画だったために
永徳の絵たちは政権が交代する際にお城ごと消えた。
もし、安土城が当時のまま残っていたら100を越える永徳筆作品が観られたかもしれない。。。
ちなみにこの『唐獅子図屏風』は国宝ではないそうだ。
秀吉の座する後ろにあったというこの絵は
その後毛利家に贈られ、明治期に皇室へ献上されたので“御物”。
そして最後は晩年(没年)の作とされている、国宝『檜図屏風』。
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身悶えするような枝のうねりはその頃の永徳の葛藤を感じてしまう。
48歳で過労死してしまう短くも太く生きた人生の最後に
彼が思い描いていたものはいったい何だったのだろう。
全て観終わって一時間半強。
博物館を出ると不思議なことにまた永徳の絵を観たくなった。
国宝の『花鳥図襖』は大徳寺聚光院の方丈にレプリカがあるらしい。
今年5月に実物保存のためにはめ替えられたとの事。(実物は京都国立博物館に所蔵)
後世に残していかなければならない絵なので止むを得ないのかもしれない。
実際、御住職達も少しほっとしているだろう・・・
(お掃除のときに襖を破いちゃったらタイヘンww)
レプリカでも今回の展覧会の配置とは違い、実際に襖として部屋のぐるりを
絵が囲んでいるようだ。
大徳寺なら家からも近い。
紅葉見物を兼ねて近々観に行ってみようか。。。
実際みたら本当に感動するんでしょうね。
獅子なんか怖いぐらいでしょうね。
美術館行きたいよ~。
洛中洛外図のような細かなタッチと
大木や獅子などの恐らく身体全体で描いたであろう描写の差も間近で観れましたし
絵を通して永徳の“人物”への興味もかき立てられました。
唐獅子の威圧もすごかったですよ。
とてもこの絵を背負っては座れません。。。