2018年(平成30年)から宮内庁の御用掛を務める篠 弘さんが、AERAdotの取材に答えて歌会始の舞台裏を語っている。
篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - )は、歌人、近代短歌研究者。短歌結社「まひる野」代表。日本現代詩歌文学館館長、日本文藝家協会理事長。
2022年歌会始め『窓』
一本のザイルたぐりて窓を拭く岩場をこなす若者の腕
短歌の世界では大変有名なかただそうです。ネットを検索すると「粋で優雅」と評されていらっしゃいました。
粋で優雅なかたが語る今上と雅子さまのご様子からは、スメラミコトとキサイノミヤに相応しく優雅でめでたく香しいものが漂ってくる。篠 弘先生ならではのアゲ記事でしょう。週刊誌の下品で仰々しいアゲ記事とは全く違います。
【独自】天皇家の和歌御用掛が明かす歌会始の儀の後、両陛下から届いたメモの中身と愛子さまの歌の意味
2022/01/23 10:00 AERAdot 永井貴子
<抜粋>
「和歌は個人的な体験だけを詠むと、歌が小さくなってしまいます。愛子さまが選んだ『世界の窓』は、ご自身の垣根を越えて、同世代の若者の前に開かれる可能性や期待感を表現なさったものです」(篠さん)
本来は、天皇陛下や皇族方に直にお会いして和歌の相談を受けること多い。
しかしコロナ禍のいまは、おもにFAXが連絡手段だ。天皇や皇族方より送られてきた和歌に丁重に目を通す。より重みを増すよう、歌の調べが滑らかになるよう、お立場に相応しいお歌に添削をすることもある。
😇 プレバト俳句で夏井いつき先生がほんの少し、あるいは大胆に手直しすると見違えるように生き生きした作品になりますが、あんな感じでしょうかね。
「天皇陛下と雅子さまは、おふたりで同じ日に、仲睦まじく作っておられるようです」(同)
というのも、いつも同じタイミングで篠さんに和歌を出すのだという。
令和に入って迎えた雅子さまのお誕生日。お祝いに際して行われる月次(つきなみ)歌会のお題を、陛下は篠さんと相談していた。 ところが、なかなか決まらない。篠さんも困っていると、陛下がこう口を開いた。
「雅子に希望を聞いてから決めようと思います」
😇 今上陛下は常に雅子さまを気にしていらっしゃるのですねー。これは常に美智子さまを気にしていらっしゃった上皇と同じですね。
歌会始のお題を決めるのは、天皇陛下だ。
まずは、歌会始の5人の選者が過去のお題を参考に、二つにしぼる。
一般の人びとが歌にしやすいか、理解しやすいかといった視点が大切だ。
最終的に決定するのは、天皇の役目だ。
<中略>
世界との往き来難(がた)かる世はつづき窓開く日を偏(ひとへ)に願ふ
コロナ禍が収束したその先に、いま大きく落ち込んでいる世界との人々の往来が再び盛んになる日の訪れを願って詠まれた和歌だ。
「結句の第5句目が説明的でなく、真実味が深い」
篠さんは今年の陛下の和歌をそう説明する。
「皇太子でいらしたころは、山の情景をお詠みになることも多くありました。天皇に即位してからは、歌を締めくくる用語として『望む』『祈る』『願う』など、人びとと共にある言葉をお選びになっています」
😇 へー、そーなんですね。
「根岸の里のわび住まい」「それにつけてもカネの欲しさよ」的に「望む」「祈る」「願う」で締めくくれば「人々と共にある天皇らしい歌」と称賛して貰えるのですね。良かったですね。
ことし陛下が詠んだのは1首。ご自身で痛感なさったことが主題であり、お人柄がにじむと感じたという。
「陛下が本格的な作歌活動に入るのはこれからでしょう。令和という時代をどう表現なさるのか、楽しみです」
😇 「昔の天皇は何首も詠まれて、その中から畏れ多くも選ばせて頂くのは歌詠みとして光栄でもあり、楽しみでもあったのですが、今上は一首しか詠まないんですよねー。人柄が現われている正直な歌ではありますが、歌としてはまだまだ。何とか見られるようにはしましたけどね。これからは陛下にも余程精進していただかないと。」?
皇后雅子さまの御歌。
新しき住まひとなれる吹上の窓から望む大樹のみどり
和歌をご指導した篠さんは、「もう少し内なる気持ちが込められた御歌である」と話す。篠さんが、「吹上御所の窓から、けやきの巨樹が見えます」と話したところ、皇后さまは、その光景をお気に召したのだという。しかし、ただ皇居の緑の情景を詠んだ和歌ではないと篠さんは解説する。
😇 なかなか歌を詠めない雅子さまに、さりげなく題材を示唆するのも和歌の御用掛の役目だということが分かります。
「ようやく心身ともに落ち着いて国のために尽くすことが出来る。良い出発となったことへの感謝と、皇后陛下の自己認識が投影されています。和歌でお使いになった『望む』という表現は、単に見るという意味ではない。『しげしげと見渡す』といった実感をともなった言葉です」
結句は「大樹のみどり」と体言止めにした。それによっていっそう、瑞々しさが広がっている話す。
😇 宮内庁が解説するような上皇上皇后への感謝の歌では無かったようです。
「いろいろあったけれど私、ようやくここまで来たのねー。」という感慨はどちらかというと勝利宣言に近い?
国のために尽くすとか感謝とかは、篠先生が気配りされたのでしょうね。
18日、歌会始の儀が終わると、召人や選者など関係者だけで小さな懇談の場が設けられた。
篠さんは他の歌人に、両陛下の今年の和歌は、特に良かったと発言していた。
この日の諸行事が終わったあと、侍従がそばに来た。手には、両陛下からのお言葉を記した紙が見える。
侍従は、書かれた文章を読み上げた。
「褒めていただいて嬉しかった」
記されていたのは、両陛下の素直なお気持ちだ。
「今上陛下として、和歌を詠進なさることに、すこしご緊張もあるのかもしれません。和歌の指南役や儀式に集う歌人から、今上天皇に相応しい一首として評価されたことを心から喜んでおられたのでしょう」
ざっくばらんで人間味あふれるお人柄。それが令和皇室の魅力なのかもしれない。(AERAdot.編集部 永井貴子)
😐 大正天皇に似ていらっしゃるのかしら。評価が低い大正天皇ですが、実際のお人柄は、冗談好きでお茶目で魅力的だったという。大正天皇には貞明皇后という稀代の傑物皇后がしっかりと仕えていらっしゃったが、今上は・・。😟
大正時代は15年。大正10年11月には皇太子裕仁に摂政任命の詔書が下ったので実質10年。。。