9月11日、紀子さまのお誕生日。
昨年のお誕生日には、ご長女の結婚が本決まりになっているなど知るよしも無い国民は、紀子さまの御言葉の中に破談の気配が毛筋でも有りはしまいか。と固唾を呑んで御言葉の発表を待っていた。そして発表された「何も言わないための言葉を並べた御言葉」に落胆しながらも、最後には破談にしてくださるに違いない。誠実を誇りとする日本の皇室が不道徳な母子を親族にすることなどあり得ないと一縷の望みを持っていたあのころ。なんだか10年くらい前の出来事のように感じられる。
蓋を開けてみれば二人の結婚は2017年以前から決定事項だった。それを知らなかったのは国民ばかり。思えば四年間、虚しい空騒ぎをしたものだ。
😇 おそらく、この笑顔が紀子さま本来の笑顔。
秋篠宮殿下の前では、今も初々しい恋人の心に戻ってしまわれるのかも。
😊かなり、 作っていらっしゃる笑顔。
ひとにも拠るでしょうが、私はこの笑顔は好きでは無い。
鎧を纏って御心の内を「国民にはみせるものか」と構えていらっしゃるようです。
多くのものが紀子さまの御味方です。どうか、殿下に見せられるような自然な笑顔を国民にも向けてくださいませ。
そうしたら、私はいっぺんに紀子さまが大好きになってしまうでしょう。
紀子さま思いつづる6,000字超 56歳の誕生日 赤坂御用地にモッコウバラのアーチを【皇室ちょっといい話】(71)(2022年9月11日)
紀子さま、56歳誕生日 ご回答全文
秋篠宮妃紀子さまが11日の誕生日に際し、宮内記者会の質問に回答された文書は次の通り。
産経ニュース
よく考えて作られた御回答はある意味美しい鎧のようなもの。
それでも、所々紀子さまならではの柔らかい御言葉が並ぶ。
・・これからも宮様とともにいかなる時節にあっても人々の暮らしの安寧を祈り、天皇皇后両陛下をお支えしながら、務めを果たしてまいりたいと思っております」
😇 皇族の言葉として完璧です。
「上皇陛下には、米寿をお迎えになりました。コロナ禍以降は、上皇上皇后両陛下へご挨拶申し上げる機会が限られていましたので、いかがお過ごしでいらっしゃるかと折にふれて思いながら過ごしておりました。そのような中、今年の春に赤坂御用地にお引き移りになり、お二方ご一緒で御用地内をご散策中にお目にかかることもあります。お身体を大切にされ、穏やかな時間をお過ごしになられることを願っております」
「昨年の12月には、敬宮様が成年を迎えられました。娘たちと一緒にすてきな笑顔を見せて遊んでいらっしゃったご幼少の頃から、あっという間に月日が経ったようにも感じます。また、今年の6月には、三笠宮妃殿下が白寿の節目を迎えられました。皇室のご慶事の続いた一年でした。
天皇皇后両陛下をはじめ、皆さまがこれからもお健やかにお過ごしになられますよう願っております」
😇 皆様それぞれへの思いを過不足の無く語られた頭のよい文章。紀子さまらしい語り口ですから、間違い無く御自分で書かれたものでしょう。
ご長女眞子さんに関する部分
「二人の結婚から一年が経とうとしています。二人は確かな考えを持って、結婚に至るまでの過程を周囲と相談しながら、旅立ちの日を迎えました。それまで支えてくださった多くの方々への感謝の気持ちを今も抱き続けているようです」
「二人で力を合わせ、健康にも気をつけて、新しい生活を心穏やかに送れるように心から願っております。二人の幸せを祈っております」
「近況や生活については、本人の希望もあり、お答えは控えます」
「長女の眞子が結婚してからも、親しみを込めて懐かしく長女について話される方々が何人もいらっしゃいました。例えば、離任するパラグアイ大使やブラジル大使にお目にかかった折には、それぞれから、長女が日系人とゆかりのある遠い場所にも足を運び、両国との友情を育んだ姿が今でも心に残り、これからも大切にしていきたいとのお気持ちを伺いました。とてもうれしく思いました」
「今は直接会うことが叶いませんが、庭の花の世話をしながら、木香薔薇のアーチを作り、いつか娘と一緒にゆっくり庭を歩くことができましたら、と思っております」
😇 紀子さまの「親ごころ」ですね。
いつか、国民は木香薔薇のアーチの下を眞子さんが小室の子供を抱いて歩かれていることを知ることになるのでしょうね。
木香薔薇は眞子さんの御印。
「NYと皇居、離れていても母の心はいつも貴女のもとにあります。心の橋を渡っていつでも帰っていらっしゃい。待ってますよ。」
という眞子さんに向けてのメッセージだろうと思うのだが、「いつでも帰っていらっしゃい」の部分が問題。
*小室と離婚して帰って来なさい?
*孫を見せがてら里帰りしなさい?