う~に~のことで、「○○をすればよかった」という後悔はいくつもあるが、
そのひとつに、う~に~の声を残しておきたかったというのがある。
う~に~は吠えない犬だった。
吠える機会は限定されていて、嬉しくなったときだけ。
嬉しいと何か咥えたくなる→とりあえず手近にあるものを咥える→
咥えると唸りたくなる→唸る→唸ったついでに吠えてしまう
という一連の行動様式が、う~に~の中ではできあがっていた。
吠える前には必ず低くてドスのきいた「ヴー」という唸り声があり、続いて「ワン」もしくは「ワンワン」と吠えた。
つまり一度に吠える回数は、多くても2回なのであった。
ものすごく嬉しくて感極まったときは、低くて太い声が裏返って、高い声になった
母が海外旅行から帰宅したとか、大好きな兄が来たといった、う~に~にとってよほど嬉しいときしか、
私たちが「ソプラノ声」と呼んでいた高音は出なかった。
これも声が高くなるだけで、吠える回数は2回(たまに3回くらいはあったかな?)だった。
「ワンワンワン、ワワワワン」とか「ウォ~ン」とかは、う~に~の辞書にはなかったようだ。
クンクン、ピーピーと鼻を鳴らしたことも、ほとんど記憶にない。
う~に~は寡黙なお方(笑)だった。
だから声を録音するのは難しかった。
さらに年とともにテンションが下がり、声が出るほど嬉しいことも少なくなってしまった。
たまに廊下でレトリーブ遊びをしていて、楽しくなってひと声吠えることがあったけれど、
それは予測がつかないし、一緒に遊んでいるから動画を撮る準備もできていない。
年老いたら別な意味で吠えるようになるかと思っていたけど(要求吠えとか)ぜ~んぜん。
16歳過ぎてからは、一度も吠え声を聞いていない。
写真はたくさんあるけれど、今になって、う~に~の声が聞きたいなと思う。
う~に~の声はそのまま、う~に~が喜ぶ姿の記憶に結びつく。
だからこそ、声を聞きたい。
スリッパを咥えてしっぽをぶんぶん振りながら、「ヴー」と得意げに唸るう~に~の、
ちょっとくぐもった声(スリッパ咥えたまま吠えるからくぐもっちゃうの)を聞きたい。
ここから先、余談。
嬉しいとき以外にもう~に~が吠えたこと、私の記憶では3回ある。
1回目は、車の中から牛の群れを見たとき(若い頃)。
2回目は、北海道の旅館の玄関に飾ってあった熊の毛皮の敷物を見たとき(6歳時)。
3回目は、いいづなアップルミュージアムの熊の剥製を見たとき(14歳頃)。
この熊には何度も会ってるのに、吠えたのはこの時が最初で最後。
どうやら非常に強い警戒心をもったときにも、吠えるようである。
牛はその後慣れちゃって、まったく吠えなくなった。
熊は年とともに怖さが増したようだ。でも生きてる熊は平気。不思議だね。
う~に~の声は低くて太い。しかも吠える前に必ずと言っていいほど唸るため、
人によっては怒っていると思われてしまうことがあった。
だから旅先などでは、なるべく唸ったり吠えたりさせないよう注意していた。
でもでも、たまにありました。
犬は飼ったことないけど好きな人や、触りたいけど大型犬はちょっと怖いという人。
そういう人って、触ってみたいけど勇気がなくて、遠巻きにこちらをガン見しているということが
たま~にある。
見られていることに気づいたう~に~はたちまち嬉しくなって(注目されるの大好きだからさ)、
「早く早く!こっち来てなでて」と吠えて呼んでしまうことがあった。
その結果、「あら、ごめんね。怒ってるのね」と触るのは遠慮されてしまってガッカリ
なこと数回。
まあほとんどの人は、身体をくねくねして尻尾振っているう~に~を見て、喜んでいると
判断してくれたけどね。
う~に~、言葉の使い方、間違ってたな
ずいぶん前のことだけど、犬がちょっと苦手な後輩が家に来たことがあった。
う~に~が歓迎して「ヴーー」と唸って近寄って行ったら、
「うーって言ったら咬むーーー」と叫びながら、オモチャを咥えたう~に~の大歓迎攻撃を受けていた。
ホントに怖かったかも知れないが、つい笑ってしまいました。
後輩よ、その節はすまんかった。
うちではしばらく流行語になってましたよ。
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カフェ「トロアシアン」で撮ってくれた写真。
う~に~13歳くらいかなあ。
とっても私好みのゴルに撮れていて、気に入ってます。
だいたい他人が撮った写真の方が、いいのが多い