「家に来てくれるんなら、ミカにひとつ頼みがあるんだけど」
と、数年ぶりに帰省するという友人に、出発前に言い寄られたことがある。
なんだまたつまらない後ろ向きな話をされるのか、と、正直げんなりしていたら、
弟のことだけど、と続けられ、余りにも想定外だったことに、ミカはその場で固まった。
だから、返答がシビアになったことは仕方がないと思う。
「入学できるかどうか、見てやってほしいんだよね」
「なんで俺が」
そんなもの、学院に直接送り込んで入学試験を受けさせれば済む話ではないか。
そう返せば、ヒロは、部屋を訪ねてきたまま戸口で、ムリにとは言わないけどさ、と弱腰になっているので
(面倒くさいことこの上ない)が、いいから座れ、と空いた椅子を指す。
それで、とりあえず話を聞く意思表示にはなるだろう。
慣れたもので、ヒロも完全拒絶されているわけではないと分かったらしく、向かいの椅子に座った。
「いや、学力は十分あると思ってんだけど」
と言い、前にエルシオン学院で入学要項の話を聞いた限りでは大丈夫そう、なんて話し出すので、
ミカは再び不可解な流れに固まる。
「費用も当面は俺の仕送りで問題なさそうな額だし、ミカの保障さえあればいつでも行けそうなんだよな」
そこまで一気に説明して、相手の無反応さに気づいたヒロが、おーい?と机を叩く。
前にエルシオン学院で入学要項の話を聞いた限りでは?
「いつの話だそれ」
「え?いつって、ミカも一緒に行ったじゃん?学長の幽霊、倒しただろ」
「はあ?あの時の話かよ!」
「それ以外にいつ行くんだよ?」
あんな騒動の中、弟の入学交渉までしてたのか。どういう神経してんだ。と思わずにはいられない。
「だって気軽に行けそうなとこじゃねーな、って思ったし」
どんなチャンスもがっちりモノにする!と、異様な自信で言い切られると、こちらが不当なのかという気にさせられ、
それ以上は不毛な応酬になると踏んで、ミカは話を元に戻すことにした。
随分と、この関係に慣らされた感はある。
「学力と金銭面に問題がなく、当の本人が行く気なら、別におれの保障はいらんだろう」
「そう、それそれ、その当の本人が一番問題っていう」
「…行く気がないのを説得しろ、とかいうのはやめろよ」
そんな役回りが出来る人間じゃないことくらい、お前にも了承済みだろう?という一線をひくミカに。
違う違う、とヒロが手を振る。
「俺さ、学校ってのに行ったことがないから、実際、なじめるのかどうか解んねえんだよな」
「そんなもの俺にだって解るか」
「だってミカは寮生活も学校も経験済みだろ」
経験者が言うのと、全く知らない俺が話すのとじゃ、違うと思うんだよ。
そう言うヒロの、めずらしく慎重な姿勢が、なんだか似つかわしくなくて、ミカは違和感を覚える。
いつも大体、なんだって率先してやりきってしまうのがいつものヒロであるのに。
「大体日頃家族としか触れ合わないし、村の外を知らないし、学校なんて解るわけがないんだよ」
だから、と、いつになく生彩を欠くヒロの様子をただ見やるしかない。
「俺が、学校に行け行け言ってるから、行く、って言う、それだけのような気がして」
本当に、家族と引き離して、遠く離れた場所に一人おいやってしまっていいのかどうか。
「悩んでるんだよな」
なあどう思う?と聞かれて、いつものように、くだらねえ!!と一蹴できる空気じゃないことに、
居心地の悪さを感じる。
これは一体、なんだろう?
「ていうのを、実際、弟の勉強ぶりみて、ミカなりに感じたこと言ってほしいんだけど」
そういう頼みです、と話をたたまれ、たたんだものを、ハイドウゾ、と手渡してくるヒロは、
そんなに普段と変わらないような気もするが。
…俺にそういう微妙なかけひきみたいなことは端からムリだな。と、諦める。
ウイならそれなりにヒロの態度がおかしいことをまず何とか解きほぐそうとするだろうけれど、
この自分にはどうあがいても、そんな芸当はできそうもない。
だとすれば、確実にあるものを確実に片付けていくだけだ。
「そうしろと言うなら、そうしてもいいが」
「が?」
「俺には、そこに何の問題があるのか、わからんな」
「そこ?」
「俺も祖父に学校に行けと命令されて、それに従っただけだが?」
兄であるヒロが弟の学力を見込んで学校に入れる、それではいけないのか?
「自分の意思ではなかったが、寮生活と学業をこなして、卒業しただけだ」
「うん、それで、王室の任命で近衛兵団に入ったわけじゃん」
「そうだな」
そこにもミカの意思などというものはない。
貴族の子息としてそうしなくてはならないので、それに従った。それ以外の選択肢はなかった。
「それに嫌気がさして近衛ぶん投げて冒険者の酒場にきたわけじゃん?」
そこの所どうよ、とヒロに突っ込まれて、三度、固まる。
しばし、ヒロの言葉を反芻して、思わず出た言葉。
「え?何だって?」
「え?何が?」
だから、エリート兵団から飛び出した反抗的な行為をミカはどう思ってんの?と問われ。
思ってもみなかった事象を突き付けられて、思わず立ち上がっていた。
「俺は反逆的精神で近衛を休職したのか?!」
「はあ?違うのかよ?」
違うのかと言われれば。
「違う…ような…」
「じゃあ何、どういうつもりで飛び出してきたわけ?」
「それは…、だから、民衆の立場に身を置きかえることで集団の役割とその構成力を学ぶために…」
「いやいや、それただの建前」
「た、建前、だ?」
「建前。何がしかに対する人の感情と態度との違い」
くっそコノヤロウ、それくらい解ってんだよ、とこぶしを握り締めてヒロを見返せば。
いつからかヒロはいつもの余裕を取り戻し、飄々とミカの視線を受け止めている。
そして。
「よく考えてみ?団長に休職届を書いていた時の気持ちになって、あの時何がどうしたのか」
「何がどうって…」
そういわれても別に。
「その当時に今のミカが戻ったとして、言いたいことがあるだろ色々」
「言いたい事って言われても、な…」
団長にくだらない嫌味を言われ、貴族にはくだらない追従をされ、平民にはくだらない中傷をされ。
そんなのはもう当たり前に慣れ切った事だ。
特に何を感じることもないただの日常で、ずっとそれが続いていく。死ぬまで、続くだけだ。
だから。それに異を唱えたり、憤懣を抱いたりすることこそが愚かで、意味もない無駄な行為。
ただ自分が自分であればいいだけのこと。
それだけのことが。
「だああああうっぜえええええ!!!」
ヒロの誘導にまんまとひっかかって、その当時の状況に自分を置いてみて、…思わず叫んでいるミカである。
それを、満足げに腕をくんで、うんうん、と頷いているヒロまでもが憎らしい。
「そう、それそれ。それがな、ミカを動かした動機だよ、動機」
もう、ものすごくくだらない事につきあわされた虚脱感で、何を言う気にもならず再び椅子に座りこむ。
「反抗期、ってやつ?」
と、くだらない事をしかけたヒロは、相変わらずしれっと話しかけてくる。
それを無視するにもできない一言で。
反抗期か。
「つまらないな」
そういう類のものかどうかは判断しかねる。
だが、当時を思い返して、一番心に引っかかった事は。
「自分をぶったおしてやりたくなる」
知らず、そう口にしていたことにミカ自身、胸を突かれたような気がしたが。
ああ解るなそれ、とヒロの声がして、反射的にそちらに振り向いていた。
「わかるか?あるか?そういうこと」
「俺はまあ大体、夜寝る前とかに今日一日の自分を思い出して、うおお消えてぇえ!とかやってたけどな」
昔、と何でもないことのように言われ、多くねえか?という思いと、今は違うのか、という思いが交差する。
だがそれ以上は何も考えられなくてヒロを見ていると、それを受けて、ヒロがにやりと笑った。
「ミカのそれをカッコ良く言うと、自分の殻を破るといいます」
「なんだそれ…」
何が格好いいんだ、それの。
「一皮むけた、とかな」
劣化してるぞ。
「んー、檻を壊す、とかかな」
「…檻」
そういえばウイに昔、小さな檻が窮屈になったんだよ、と言われたことがあった。
もっと大きな檻に入ったんだよとオチをつけられて、不毛すぎる、とただ聞き流していたが。
「な?決められたことに納得してるつもりでも、やっぱ、うっぜえ、ってなるじゃん」
「ちょっと待て」
「ん?」
「お前の弟の話だったよな、これ」
「そうだけど?」
なのに何故ミカ自身がこんな疲労感を感じなくてはならないのか、ということはこの際置いておいて。
「じゃあ、好きにしろ、って言えばいいんじゃないのか」
「自由を知らない子に、好きにしろ自由にやれ、っていうのも違う気がして」
「あのなあ…」
お前はどうしたいんだ、と問えば、そりゃ学校に入れてやりたいよ、と返ってくる。
そのくせ、本人の意思を尊重したいという。
「俺はさ、兄貴だから。バカなこと言ってるのは、まあ解るんだけど、あいつら可愛いんだよね」
そう言ったヒロはまた、先にミカが感じたような違和感を漂わせている。
「自分のことならさ、良いんだよ。苦境でも困難でも、自分で片がつけられるから」
でも弟妹の事になると、どうしても甘いんだよな、と白状されて、その違和感の正体を知る。
そうだ、この弱気な感じは、ヒロが自身の弱みを見せているのとは違う意味合い。
上手くいえないけれど、自分とヒロとの間に見えない壁があるような気がする、とミカは思っていた。
それは。
弟という存在が、そうさせる。
よく知っているヒロが、ミカの知らない一人の存在に手を焼いていることが、面白くない感じ。
そうか、これは面白くないな。
「…兄弟っていうのは、そういう弱みになるものか」
「ああ、ミカはいねーのか。兄弟っていうか、まあ家族全員に関わりたいっていうか」
「その関わりたい、っていうのが良く解らんな」
自分の家族は、とにかく一人一人が自律している。
侯爵家に関わることならともかく、個人の抱える問題を共有することなどあり得ない。
各々常に単独であり、つながりや支えもない。それこそが自立であり、個の存在意義だ。
そういえば、厳しいなあ、とヒロが頭を抱える。
「うちは、…ていうか、俺なんだけど」
俺はさ、と前置いて。
「なんでもかんでも手を出して世話やいて、もう一から百まで俺一人でお膳立てしてやりたいわけ」
「相当、過保護だぞ、それ」
「だよな」
わかってるんだよ?と言いつつ。
「それに弟たちが違う生き方をすれば、俺もそっちの道を選んでたらこうなってたのか~、っていう希望もある」
などという、さらに理解不能な兄の心境とやらを、披露するヒロ。
「いや、ぜんぜん解らねえ」
どうして他者にそこまで自分自身を投影させるのか。
それをヒロは、家族だから、という。家族とは、そんなに境界線があいまいな集団なのか。
今までにないヒロの一面を見て、その家族とやらを見てみたくなった。
他人の動向には意味がなく、自分が自分でありさえすればいいとかたくなに自律してきたミカにとって、
それは初めての興味だった。
だから、引き受けた。
「わかった」
と、言えば、「え?急だな」と、ヒロが驚いていた。
何がミカを動かしたのか、ヒロ自身は解っていない様だったが。
「とにかく、その弟とやらを見てから考える」
事にした。
それが、出発前のやりとり。
実際、ヒロの村に到着し、ヒロの家に足を踏み入れた瞬間から。
ミカは想像を絶するほどの、「家族」という集団の持つ破壊力に、それまでの価値観を粉砕された。
家族どころか、親戚だの隣近所だの、とにかく群れになった状態から、一切の境界がない。
自分のものは他人のもの、他人のものは自分のもの、と言っていたヒロの言葉にもうなずける。
個が群れであり、群れが個でもあった。
それに取り込まれまいとするだけで、圧倒的な、ストレス!!
何事にも気配りに長けているヒロがミカに気づいてたびたび集団から連れだしてくれるおかげで、
なんとかやり過ごしているものの。
(あのヒロができあがったのが理解できる)
と、心底思う。
いつも旅の間中見ていたヒロの働き、面倒ごとを見極めて、段取りと采配をして、仲間の世話を焼くことが生きがい!
という姿が、そっくりそのまま、ここにある。
旅の間では見せなかったヒロの、兄、という立場は、自分たちに対するそれと変わりない。
それを見ることで、ミカの中にあった、ヒロのあの違和感が完全に消失してしまったのだから、
聞いた百より見た一つ、という教えがいかなるものか、身をもって知る、というものだ。
そのヒロが気にかけている弟がいる。
女ばかりの中で男二人兄弟だから余計に可愛い、と言われ、そういうものかなと思う。
自分に弟がいれば、そういうこともわかっただろうか。
いない存在に思いをはせて、そこに答えを求めることは苦手だ。
だから、ただできることは、今目の前にいる存在に向き合うことだけ。
「兄が教えを乞えというので、きました」
と、利発そうなもの言いで、そのくせそれにはまだ全然足りていない幼さで、挑んでくる。
全く認めていないけれど兄に言われたので仕方なく、という響きをあからさまに含んだセリフは、
こちらを不快にさせようと意図したものか、否か。
今のミカには、それはどちらでもいいこと。
実際に見て判断してほしい、というヒロの頼みも、一事棚上げだ。
初めて、子供と向き合う。
その今までにない緊張感と、冒険心は、あの日、休職届をだした時の気分に似ていた。
↓いよいよ青藍登場!あと、ミカの「面白くないな」ってのは、ただの嫉妬です本人気付いてないけども、にぽちっと♪