~もはや先進国とは言えないのでは?~
「メディアの独立」の危機
日本の報道の自由の危機。
前回はパナマ文書の関係で、
日本企業などについて大手メディアが
ほとんど報道しないことを指摘したばかりだが、
またしても日本の報道の自由に関連して、
大きなニュースが2つあった。
1つは、国連人権理事会特別報告者、
デビッド・ケイ氏が日本に派遣されてきたことだ。
国連人権理事会とは、
人権擁護のための国連の機関で、
各国政府に勧告を行うなどの役割を果たしている。
この理事会が特別報告者を派遣して調査するということは、
国連が日本の「報道の自由について」
心配しているということだ。
しかし、心配されると困る人たちがいる。
安倍晋三首相と菅義偉官房長官だ。
そもそもこの調査は、昨年12月に予定されていたのだが、
日本政府は、'16年秋までの延期を求め、
ドタキャンしてしまった。
予算編成が忙しいからというのだが、それは嘘。
夏の参議院選挙前に、
日本政府の報道抑圧を批判する勧告を出されると
政権として困るということなのだ。
だが、ケイ氏が
粘り強く早期の訪日実現を求めたことで政府が折れ、
今回の調査が実現された。
安倍政権としては、4月の調査なら、
報告書は春の人権理事会には間に合わず、
先送りできるという読みだろう。
しかし、世の中そう甘くはない。
ケイ氏が帰国前に記者会見を行うと発表したのだ。
もはや先進国とは言えない……
実は、私も4月16日に2時間ほどケイ氏と話す機会を得た。
私は、'14年11月に自民党が出した
在京キー局宛の圧力文書や、
一般にはあまり知られていないが、
同じく11月に出した報道ステーションの
プロデューサー宛の圧力文書のコピー、
'15年2月の複数のテレビ局の政治部記者による
菅官房長官とのオフレコ懇談のメモなどを提出した。
4月19日の記者会見では、
ケイ氏は驚くほど率直な政府批判と政策提言を発表した。
特に、最重点課題の「メディアの独立」については、
テレビ局について、独立規制機関の設立や、
「政治的に公平」であることを求め、
恣意的に運用されかねない放送法4条の廃止を提言。
日本のメディアには、
記者クラブの廃止や
新聞・テレビ・ネットを横断する組織を作って
政府の圧力と戦えと提言した。
政府批判と同時に、痛烈なメディア批判でもある。
さて、これほど重要な会見だったのだが、
驚くべきことに、
当日夜のテレビも翌朝の新聞も
まったくこれを報じないか、
あるいは報じたとしても、
極めて通り一遍の簡単な扱いで終わってしまった。
16日のケイ氏との会談後の立ち話で、
「記者会見をちゃんと報道できるか否かが、
日本のマスコミにとっての『テスト』だね」
と話していたのだが……。
2つ目のニュースは、
4月20日の「国境なき記者団」による
「'16年報道の自由度ランキング」の発表だ。
日本の順位は、72位。'15年からなんと11位も下がった。
こんな状況では、もはや先進国とは言えない。
当然の評価だが、悲しくなってくる。
それでもなお、国内主要メディアは政府に抵抗せず、
国連の危惧にも反応しない。
国民も重大な危機に気づくことができない。
「八方塞がり」。
最後に思い浮かんだのは、この言葉だ。
『週刊現代』2016年5月7・14日号より
-現代ビジネス-
今週刊誌が元気だ。
ベッキーとゲスのスキャンダルを暴き
あそこまで追いやったのも、
野球賭博も清原麻薬事件も
週刊誌が記事を主導している。
そして今日のネタ記事も週刊誌発。
そんな中、私にとっての極め付けは
やはり財務省の嘘。
1000億円の国の借金なんか大嘘だった
と云う記事。
今や日本のジャーナリズムを引っ張るのは
スキャンダル週刊誌しかないのだろうか?
しかし私からみると
週刊誌にも大きな欠点が。
それは清濁併せ持つということ。
権力に挑み、不正を暴くこともあるが、
人のスキャンダルに付け込み
甘い汁を吸おうとする輩も存在する。
記事の内容を面白可笑しくするためには
多少虚実を含ませてもかまわないと
平気で思っている記者たちのことだ。
ゲスな行為をするものを追いかける記者も
やはりゲスなのだと思う。
そもそも週刊誌の記者たちの中には
ジャーナリストとしての良心やプライド・志を
持たない者が多いのでは?
と私は感じている。
新聞やテレビの分野で
ジャーナリズムは死んだ。
一度死んだものを復活させるのは
奇跡でもおきない限り不可能だろう。
政権に媚びたり、日寄ったり。
公平を装い、抑えたトーンの切り口で
政権を批判しているつもりだろうが、
その及び腰故、読者に何も伝わってこない。
そして何度も日記で取り上げてきたが、
マスコミをダメにしたのは政府だけではない。
大手広告代理店2社が
スポンサー供給の支配的立場を武器に
テレビ局やそれを運営する親会社である新聞社まで
首根っこをつかみ、
自分の意に染まない記事を報道させないよう
多大な影響力を発揮している。
そんな窮屈な報道規制が浸透する中、
マスメディアで流せなかった記事が
ネットに流出し、日本とそれを取り巻く情勢を
暴いている。
だからネットニュースには、
新聞・テレビと共通する話題もあるが、
ネット独自の話題も豊富だ。
その内容は、詳しく吟味すれば一目瞭然である。
ネットでしか真実を知りえない
悲しい現実を背負った隣の国。
そのネットでさえ、
大規模な政府の監視機関が目を光らせ、
都合の悪い内容の記事を一瞬にして削除している。
こうして両国を比べてみると
まだこの国の方が少しはマシなのかももしれないが、
その差は縮まってきている。
私が心から軽蔑する国と
自分の国がそれほど変わらなくなりつつある現状に対し、
憂慮の念を通り越し
情けなさでいっぱいになり、悲しくなる。
各国のエゴの集合体に過ぎない国連ごときが
上から目線で日本を非難してくるような
状況を許した責任は
もとはと云えば国民にある。
つまり日本国民は、そんな国連から見たら、
先の大戦での敗北により
一度は手にした自由と民主主義を
自らの不勉強と努力不足で衆愚政治を招き
破綻さえようとしている状態を笑われ
軽く見られているのだ。
世界中に蔓延した貧困やテロの脅威に対し
何の手も打てない無能な国連ごときに
そんな目で見られることに
無性に腹立たしさを感じるオヤジが一句。
報道の 最後の砦 壁新聞
お粗末。
「メディアの独立」の危機
日本の報道の自由の危機。
前回はパナマ文書の関係で、
日本企業などについて大手メディアが
ほとんど報道しないことを指摘したばかりだが、
またしても日本の報道の自由に関連して、
大きなニュースが2つあった。
1つは、国連人権理事会特別報告者、
デビッド・ケイ氏が日本に派遣されてきたことだ。
国連人権理事会とは、
人権擁護のための国連の機関で、
各国政府に勧告を行うなどの役割を果たしている。
この理事会が特別報告者を派遣して調査するということは、
国連が日本の「報道の自由について」
心配しているということだ。
しかし、心配されると困る人たちがいる。
安倍晋三首相と菅義偉官房長官だ。
そもそもこの調査は、昨年12月に予定されていたのだが、
日本政府は、'16年秋までの延期を求め、
ドタキャンしてしまった。
予算編成が忙しいからというのだが、それは嘘。
夏の参議院選挙前に、
日本政府の報道抑圧を批判する勧告を出されると
政権として困るということなのだ。
だが、ケイ氏が
粘り強く早期の訪日実現を求めたことで政府が折れ、
今回の調査が実現された。
安倍政権としては、4月の調査なら、
報告書は春の人権理事会には間に合わず、
先送りできるという読みだろう。
しかし、世の中そう甘くはない。
ケイ氏が帰国前に記者会見を行うと発表したのだ。
もはや先進国とは言えない……
実は、私も4月16日に2時間ほどケイ氏と話す機会を得た。
私は、'14年11月に自民党が出した
在京キー局宛の圧力文書や、
一般にはあまり知られていないが、
同じく11月に出した報道ステーションの
プロデューサー宛の圧力文書のコピー、
'15年2月の複数のテレビ局の政治部記者による
菅官房長官とのオフレコ懇談のメモなどを提出した。
4月19日の記者会見では、
ケイ氏は驚くほど率直な政府批判と政策提言を発表した。
特に、最重点課題の「メディアの独立」については、
テレビ局について、独立規制機関の設立や、
「政治的に公平」であることを求め、
恣意的に運用されかねない放送法4条の廃止を提言。
日本のメディアには、
記者クラブの廃止や
新聞・テレビ・ネットを横断する組織を作って
政府の圧力と戦えと提言した。
政府批判と同時に、痛烈なメディア批判でもある。
さて、これほど重要な会見だったのだが、
驚くべきことに、
当日夜のテレビも翌朝の新聞も
まったくこれを報じないか、
あるいは報じたとしても、
極めて通り一遍の簡単な扱いで終わってしまった。
16日のケイ氏との会談後の立ち話で、
「記者会見をちゃんと報道できるか否かが、
日本のマスコミにとっての『テスト』だね」
と話していたのだが……。
2つ目のニュースは、
4月20日の「国境なき記者団」による
「'16年報道の自由度ランキング」の発表だ。
日本の順位は、72位。'15年からなんと11位も下がった。
こんな状況では、もはや先進国とは言えない。
当然の評価だが、悲しくなってくる。
それでもなお、国内主要メディアは政府に抵抗せず、
国連の危惧にも反応しない。
国民も重大な危機に気づくことができない。
「八方塞がり」。
最後に思い浮かんだのは、この言葉だ。
『週刊現代』2016年5月7・14日号より
-現代ビジネス-
今週刊誌が元気だ。
ベッキーとゲスのスキャンダルを暴き
あそこまで追いやったのも、
野球賭博も清原麻薬事件も
週刊誌が記事を主導している。
そして今日のネタ記事も週刊誌発。
そんな中、私にとっての極め付けは
やはり財務省の嘘。
1000億円の国の借金なんか大嘘だった
と云う記事。
今や日本のジャーナリズムを引っ張るのは
スキャンダル週刊誌しかないのだろうか?
しかし私からみると
週刊誌にも大きな欠点が。
それは清濁併せ持つということ。
権力に挑み、不正を暴くこともあるが、
人のスキャンダルに付け込み
甘い汁を吸おうとする輩も存在する。
記事の内容を面白可笑しくするためには
多少虚実を含ませてもかまわないと
平気で思っている記者たちのことだ。
ゲスな行為をするものを追いかける記者も
やはりゲスなのだと思う。
そもそも週刊誌の記者たちの中には
ジャーナリストとしての良心やプライド・志を
持たない者が多いのでは?
と私は感じている。
新聞やテレビの分野で
ジャーナリズムは死んだ。
一度死んだものを復活させるのは
奇跡でもおきない限り不可能だろう。
政権に媚びたり、日寄ったり。
公平を装い、抑えたトーンの切り口で
政権を批判しているつもりだろうが、
その及び腰故、読者に何も伝わってこない。
そして何度も日記で取り上げてきたが、
マスコミをダメにしたのは政府だけではない。
大手広告代理店2社が
スポンサー供給の支配的立場を武器に
テレビ局やそれを運営する親会社である新聞社まで
首根っこをつかみ、
自分の意に染まない記事を報道させないよう
多大な影響力を発揮している。
そんな窮屈な報道規制が浸透する中、
マスメディアで流せなかった記事が
ネットに流出し、日本とそれを取り巻く情勢を
暴いている。
だからネットニュースには、
新聞・テレビと共通する話題もあるが、
ネット独自の話題も豊富だ。
その内容は、詳しく吟味すれば一目瞭然である。
ネットでしか真実を知りえない
悲しい現実を背負った隣の国。
そのネットでさえ、
大規模な政府の監視機関が目を光らせ、
都合の悪い内容の記事を一瞬にして削除している。
こうして両国を比べてみると
まだこの国の方が少しはマシなのかももしれないが、
その差は縮まってきている。
私が心から軽蔑する国と
自分の国がそれほど変わらなくなりつつある現状に対し、
憂慮の念を通り越し
情けなさでいっぱいになり、悲しくなる。
各国のエゴの集合体に過ぎない国連ごときが
上から目線で日本を非難してくるような
状況を許した責任は
もとはと云えば国民にある。
つまり日本国民は、そんな国連から見たら、
先の大戦での敗北により
一度は手にした自由と民主主義を
自らの不勉強と努力不足で衆愚政治を招き
破綻さえようとしている状態を笑われ
軽く見られているのだ。
世界中に蔓延した貧困やテロの脅威に対し
何の手も打てない無能な国連ごときに
そんな目で見られることに
無性に腹立たしさを感じるオヤジが一句。
報道の 最後の砦 壁新聞
お粗末。