◆私的な支出を謝罪<文/教育評論家・野田数>
舛添要一都知事が強烈な批判にさらされている。
前回の都有地を韓国学校へ貸し出す問題(※)に続き、
今回は、政治資金で家族旅行に行っていたことや
公用車で毎週温泉に通っていることが問題視されている。
新聞、テレビなどで、連日のように批判され、
コメンテーターのみならず、知事経験者や文化人、
芸能人からも非難されるようになった。
今回も「文春砲」の威力は凄まじく、
舛添知事は5月13日の記者会見で釈明会見を行い、
収支報告書に私的な支出が混じっていたことを謝罪した。
※HARBOR BUSINESS Online(批判が集まる舛添都知事の都市外交
――石原、猪瀬、両前任者との比較で考える)より
このたびも、他のメディアが取り上げていない観点から、
舛添問題について批評したいと思う。
◆そもそも都議会が都知事をチェックすべき
みなさん疑問に思われるかもしれないが、
なぜこれだけ舛添知事が好き放題やれるのだろうか。
なぜ都議会から批判の声が聞こえないか、理解できるだろうか?
いわゆる二元代表制というのは、
知事(行政)と都議会(政治)で成立しており、
行政のチェック機能を果たすのは議会の役割なはずである。
都有地を韓国学校に貸し出すとの方針を打ち出した時の方が
都議会からの批判が多少なりとも聞こえていた。
しかしこの度のように、公用車や政治資金になると、
まるで聞こえてこない。なぜか?
それは都議会議員も、公用車を乗り回し、
政治資金を私的に使用し、
公費で無駄な海外旅行を行っているからである。
◆都議会も都庁職員も怖れた石原元知事と猪瀬前知事
ここで舛添知事を歴代知事と比較してみようと思う。
石原慎太郎元知事は人気が抜群で選挙に強く、実績も十分。
猪瀬直樹前知事にしても石原氏のようなカリスマはないにせよ、
五輪招致をはじめ都政への功績は多く、選挙は圧倒的に強かった。
仮に都議会が、彼ら2人のような知事に敵対すれば、
世論を敵に回すことになる。
だから、議員達は最終的に両知事には折れざるを得なかった。
ところが舛添知事には、カリスマも実績もなく、
選挙もそれほど強くない。
議会側にすれば、与しやすい知事ということである。
それでは、歴代知事は都庁職員からどのように見られていたか。
石原氏は、ひと言でいえば怖れられていた。
行政改革の手腕に長ける猪瀬氏は、役人からすれば厄介な存在。
敬意を持ちながらも、仕事が増えて大変なので不満も抱かれていた。
◆「裸の王様」の舛添知事
舛添知事は前任者2人のように既得権益に斬り込むような真似はせず、
これまで仕事らしいことを何もしていないので、
敬意も敵意も持たれていない。
はっきり言って無風状態だ。
足を引っ張ってやろう、とさえ思われていない。
だからこそ、舛添氏は内部から足を引っ張られず、
勘違いをし、「裸の王様」状態なのである。
前任知事2人は公用車で温泉に行ったことはないし、
公金の公私混同などはしない。
一方で、舛添知事は税金の使い方がメチャクチャだ。
彼が力を入れている都市外交にしても、
石原都政では「アジア大都市ネットワーク21」を立ち上げ、
多都市間で事業を行っていた。
猪瀬氏は副知事時代からトップセールスを行い
(副知事でトップセールスという言葉は妥当かわからないが)、
例えば東京都の水道、
下水道などインフラシステム等を積極的に外国の都市に売り込んでいた。
◆カネにがめつく、セコく、ケチくさい
ところが、舛添知事が就任した2014年に都が策定した
「東京都都市外交基本戦略」は中身が空っぽで、
何を目指しているのかさえわからない。
熊本地震が起きているというのに、
外遊先のアメリカでオープンカーに嬉々として乗り込んで批判されたが、
これまでの外遊で成果を都に持ち帰ったことなどない。
そもそも外遊の目的自体が不明確なので、海外に遊びに行っているに等しい。
舛添知事は参議院議員の頃、新党改革を立ち上げたが、
政党助成金を自らのファミリー企業の舛添政治経済研究所に還流させるなど、
もともとカネにがめつい。
この度の文春の記事のように、
政治資金を私的に使ったとか絵画を購入したとか、
セコイ話には枚挙にいとまがない。
フランス文化通を気取っているが、
こういうケチくさい人物だけに違和感が非常に大きい。
外遊に際して、スイートルームやファーストクラスにこだわるのも、
そうした気質がなせる業だろう。
◆舛添知事に甘い都議会議員はだれか見極めよ
豪華すぎる外遊や公用車のムダ使いが批判されても、
舛添知事は強気に反論しているが、
少なくともこれまでは議会や都庁を掌握しているつもりなのだろう。
というのも、彼には議会や役所の既得権益に斬り込むつもりはないのだ。
都議会与党からは、この度の醜聞を舛添知事は乗り切れるとの見方をしている。
つまり家族旅行の代金や散髪代など政治資金として計上したものを、
返金や政治団体収支報告書の訂正で突破するだろうと考えている。
しかし、多くのメディアが公金の無駄使いを報じ、
舛添バッシングが続けば、潮目が変わるだろう。
来年は都議会議員選挙の年だが、
自分たちの選挙に不利となれば
舛添バッシングを始める与党議員が出てくるかもしれない。
ただ、あまり報じられていないが、
都知事をチェックすべき都議会議員のレベルが低いのも事実だ。
質問が自分達で作れないからと職員に丸投げする。
そして作ってもらった質問の漢字が読めない。
ある若手議員がしきりに「みは、みは」と言っているから何かと思いきや、
「実は」を読めなかった。冗談みたいな話だが、
それ以来、某政党の質問文には
ルビがふられるようになったというウソみたいな話もある。
私もみなさんにできるだけ多く情報提供をするつもりだ。
舛添知事に甘い議員はだれか、よく見極めてほしい。
その議員は、間違いなく舛添知事と同じことをしているからである。
【野田数(のだかずさ)】
-日刊SPA!-
想像以上に呆れた都議会の実態に、
何処から切り込んだら良いのかわからない。
ろくに自分の質問原稿も書けず、
初歩的な漢字も読めない人が、何故議員をやっているのか?
漢字の読み書きのレベルは、
その人に対する評価・印象に大きく関わる場合が多い。
以前、『未曾有』を(みぞうゆう)と読んだ大臣がいたが、
それは偶々(たまたま)のことだったろう。
しかしそれでも、公の場での偶々の読み間違いが
その大臣の数々の実績を吹き飛ばしてしまうほど、
人格と印象に対する評価を引き下げてしまった。
今回の都議会のチェック機能の問題も、
議員たちの資質がこの程度なら、
単なる『でくのぼう』なのも仕方ない。
同じ『でくのぼう』を扱った『のぼうの城』という映画もあったが、
その主人公は、民衆から【のぼう】(でくのぼう)と呼ばれていたが、
実は(じつは=みはではない)本当の『でくのぼう』ではなかった。
でも、私たちの住む自治体の議会の議員たちが、
現実に本当の『でくのぼう』であることを実感させられてしまうと、
やるせない気持ちでいっぱいになる。
税金を湯水の如く使う知事と、
何もできない議員たち。
私たちが選挙に行く意味って、一体何処にあるのだろう?
私は思う。
それでも選挙に行って、一票を投じるべきだと。
何故なら、選挙民が投票を棄権し、政治に無関心になれば、
民主主義が死んでしまうからだ。
全体主義や独裁は、民衆が無知であったり、無関心であったり、
愚かな状態のときにはびこる。
誰に一票を投じて良いかわからない時でも、
又はふさわしい候補者がいなくても、
投票所には足を運ぶべきだ。
白紙投票でも、名前ではなく、意見を書いただけの投票用紙でも
ひとりひとりが自分の意思をもって、
責任をもって投票行為をすることが、
民主主義を守ることになる。
無効票でも票は票なのだ。
それは議会に対する無言の批判となり、
それが積もりに積もれば無視できない圧力となる。
でも投票所に行かないということは、
単なる棄権であり、存在は無視され、
権力者の都合に振り回されるだけの哀れな立場に落とされる。
その端的な例が保育所問題だ。
その世代が声をあげ、政治に参加せず、
いつも棄権ばかりしていたからおざなりにされてきた。
雨が降っただけで投票所に行かないなんて、
自分の首を絞めるだけだ。
今度の選挙でも、もしかしたら候補者名を書かず、
○▽反対!!と書いてしまいそうなオヤジが一句。
チェックする 議会をチェック 誰がする?
(【選挙に行こう!!】番組制作委員会)
お粗末。
舛添要一都知事が強烈な批判にさらされている。
前回の都有地を韓国学校へ貸し出す問題(※)に続き、
今回は、政治資金で家族旅行に行っていたことや
公用車で毎週温泉に通っていることが問題視されている。
新聞、テレビなどで、連日のように批判され、
コメンテーターのみならず、知事経験者や文化人、
芸能人からも非難されるようになった。
今回も「文春砲」の威力は凄まじく、
舛添知事は5月13日の記者会見で釈明会見を行い、
収支報告書に私的な支出が混じっていたことを謝罪した。
※HARBOR BUSINESS Online(批判が集まる舛添都知事の都市外交
――石原、猪瀬、両前任者との比較で考える)より
このたびも、他のメディアが取り上げていない観点から、
舛添問題について批評したいと思う。
◆そもそも都議会が都知事をチェックすべき
みなさん疑問に思われるかもしれないが、
なぜこれだけ舛添知事が好き放題やれるのだろうか。
なぜ都議会から批判の声が聞こえないか、理解できるだろうか?
いわゆる二元代表制というのは、
知事(行政)と都議会(政治)で成立しており、
行政のチェック機能を果たすのは議会の役割なはずである。
都有地を韓国学校に貸し出すとの方針を打ち出した時の方が
都議会からの批判が多少なりとも聞こえていた。
しかしこの度のように、公用車や政治資金になると、
まるで聞こえてこない。なぜか?
それは都議会議員も、公用車を乗り回し、
政治資金を私的に使用し、
公費で無駄な海外旅行を行っているからである。
◆都議会も都庁職員も怖れた石原元知事と猪瀬前知事
ここで舛添知事を歴代知事と比較してみようと思う。
石原慎太郎元知事は人気が抜群で選挙に強く、実績も十分。
猪瀬直樹前知事にしても石原氏のようなカリスマはないにせよ、
五輪招致をはじめ都政への功績は多く、選挙は圧倒的に強かった。
仮に都議会が、彼ら2人のような知事に敵対すれば、
世論を敵に回すことになる。
だから、議員達は最終的に両知事には折れざるを得なかった。
ところが舛添知事には、カリスマも実績もなく、
選挙もそれほど強くない。
議会側にすれば、与しやすい知事ということである。
それでは、歴代知事は都庁職員からどのように見られていたか。
石原氏は、ひと言でいえば怖れられていた。
行政改革の手腕に長ける猪瀬氏は、役人からすれば厄介な存在。
敬意を持ちながらも、仕事が増えて大変なので不満も抱かれていた。
◆「裸の王様」の舛添知事
舛添知事は前任者2人のように既得権益に斬り込むような真似はせず、
これまで仕事らしいことを何もしていないので、
敬意も敵意も持たれていない。
はっきり言って無風状態だ。
足を引っ張ってやろう、とさえ思われていない。
だからこそ、舛添氏は内部から足を引っ張られず、
勘違いをし、「裸の王様」状態なのである。
前任知事2人は公用車で温泉に行ったことはないし、
公金の公私混同などはしない。
一方で、舛添知事は税金の使い方がメチャクチャだ。
彼が力を入れている都市外交にしても、
石原都政では「アジア大都市ネットワーク21」を立ち上げ、
多都市間で事業を行っていた。
猪瀬氏は副知事時代からトップセールスを行い
(副知事でトップセールスという言葉は妥当かわからないが)、
例えば東京都の水道、
下水道などインフラシステム等を積極的に外国の都市に売り込んでいた。
◆カネにがめつく、セコく、ケチくさい
ところが、舛添知事が就任した2014年に都が策定した
「東京都都市外交基本戦略」は中身が空っぽで、
何を目指しているのかさえわからない。
熊本地震が起きているというのに、
外遊先のアメリカでオープンカーに嬉々として乗り込んで批判されたが、
これまでの外遊で成果を都に持ち帰ったことなどない。
そもそも外遊の目的自体が不明確なので、海外に遊びに行っているに等しい。
舛添知事は参議院議員の頃、新党改革を立ち上げたが、
政党助成金を自らのファミリー企業の舛添政治経済研究所に還流させるなど、
もともとカネにがめつい。
この度の文春の記事のように、
政治資金を私的に使ったとか絵画を購入したとか、
セコイ話には枚挙にいとまがない。
フランス文化通を気取っているが、
こういうケチくさい人物だけに違和感が非常に大きい。
外遊に際して、スイートルームやファーストクラスにこだわるのも、
そうした気質がなせる業だろう。
◆舛添知事に甘い都議会議員はだれか見極めよ
豪華すぎる外遊や公用車のムダ使いが批判されても、
舛添知事は強気に反論しているが、
少なくともこれまでは議会や都庁を掌握しているつもりなのだろう。
というのも、彼には議会や役所の既得権益に斬り込むつもりはないのだ。
都議会与党からは、この度の醜聞を舛添知事は乗り切れるとの見方をしている。
つまり家族旅行の代金や散髪代など政治資金として計上したものを、
返金や政治団体収支報告書の訂正で突破するだろうと考えている。
しかし、多くのメディアが公金の無駄使いを報じ、
舛添バッシングが続けば、潮目が変わるだろう。
来年は都議会議員選挙の年だが、
自分たちの選挙に不利となれば
舛添バッシングを始める与党議員が出てくるかもしれない。
ただ、あまり報じられていないが、
都知事をチェックすべき都議会議員のレベルが低いのも事実だ。
質問が自分達で作れないからと職員に丸投げする。
そして作ってもらった質問の漢字が読めない。
ある若手議員がしきりに「みは、みは」と言っているから何かと思いきや、
「実は」を読めなかった。冗談みたいな話だが、
それ以来、某政党の質問文には
ルビがふられるようになったというウソみたいな話もある。
私もみなさんにできるだけ多く情報提供をするつもりだ。
舛添知事に甘い議員はだれか、よく見極めてほしい。
その議員は、間違いなく舛添知事と同じことをしているからである。
【野田数(のだかずさ)】
-日刊SPA!-
想像以上に呆れた都議会の実態に、
何処から切り込んだら良いのかわからない。
ろくに自分の質問原稿も書けず、
初歩的な漢字も読めない人が、何故議員をやっているのか?
漢字の読み書きのレベルは、
その人に対する評価・印象に大きく関わる場合が多い。
以前、『未曾有』を(みぞうゆう)と読んだ大臣がいたが、
それは偶々(たまたま)のことだったろう。
しかしそれでも、公の場での偶々の読み間違いが
その大臣の数々の実績を吹き飛ばしてしまうほど、
人格と印象に対する評価を引き下げてしまった。
今回の都議会のチェック機能の問題も、
議員たちの資質がこの程度なら、
単なる『でくのぼう』なのも仕方ない。
同じ『でくのぼう』を扱った『のぼうの城』という映画もあったが、
その主人公は、民衆から【のぼう】(でくのぼう)と呼ばれていたが、
実は(じつは=みはではない)本当の『でくのぼう』ではなかった。
でも、私たちの住む自治体の議会の議員たちが、
現実に本当の『でくのぼう』であることを実感させられてしまうと、
やるせない気持ちでいっぱいになる。
税金を湯水の如く使う知事と、
何もできない議員たち。
私たちが選挙に行く意味って、一体何処にあるのだろう?
私は思う。
それでも選挙に行って、一票を投じるべきだと。
何故なら、選挙民が投票を棄権し、政治に無関心になれば、
民主主義が死んでしまうからだ。
全体主義や独裁は、民衆が無知であったり、無関心であったり、
愚かな状態のときにはびこる。
誰に一票を投じて良いかわからない時でも、
又はふさわしい候補者がいなくても、
投票所には足を運ぶべきだ。
白紙投票でも、名前ではなく、意見を書いただけの投票用紙でも
ひとりひとりが自分の意思をもって、
責任をもって投票行為をすることが、
民主主義を守ることになる。
無効票でも票は票なのだ。
それは議会に対する無言の批判となり、
それが積もりに積もれば無視できない圧力となる。
でも投票所に行かないということは、
単なる棄権であり、存在は無視され、
権力者の都合に振り回されるだけの哀れな立場に落とされる。
その端的な例が保育所問題だ。
その世代が声をあげ、政治に参加せず、
いつも棄権ばかりしていたからおざなりにされてきた。
雨が降っただけで投票所に行かないなんて、
自分の首を絞めるだけだ。
今度の選挙でも、もしかしたら候補者名を書かず、
○▽反対!!と書いてしまいそうなオヤジが一句。
チェックする 議会をチェック 誰がする?
(【選挙に行こう!!】番組制作委員会)
お粗末。