4月30日に落語家の桂歌丸(79)が
大喜利の司会引退を発表した日本テレビの演芸番組
「笑点」(日曜後5・30)が1日に放送され、
平均視聴率は20・4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)
と今年最高を記録したことが2日、分かった。
従来の最高、1月31日と4月10日の18・7%を上回り、
今年初の大台突破。
歌丸の司会引退発表が視聴者の注目を集めたとみられる。
昨年は3月1日に24・2%を記録している。
歌丸は4月30日に都内で行った
「笑点50周年記念スペシャル」(15日後5・00)
の収録と収録後の会見で、
司会引退を発表。
昨年6月に入院するなど、近年は番組を休むことも増え
「体力の限界なんです」と説明。
番組の50周年と落語家生活65年の区切りの年に決断した。
22日の生放送が最後の出演となる。
現在のレギュラー陣の中でただ1人、
1966年の放送第1回から出演する番組の最大の功労者。
今後はレギュラー出演をやめ、
直前のPR番組「もう笑点」に出演する。
番組降板は制作スタッフの一部と出演者しか聞かされていなかった。
局によると、後任については検討中という。
-スポニチアネックス 5月2日(月)9時39分配信-
1966年5月15日の放送第1回から出演ということは
今年で50年ということになる。
あまりに長い年月、あの長寿番組を支えてきた人だ。
私の記憶の中では、同じく第一回から出演し、
1980年に急逝した
4代目三遊亭小圓遊との罵倒合戦が印象深い。
多分古くからのファンの中には、
歌丸対小圓遊のバトルを
楽しみにしていた視聴者も少なくないはずだ。
落語にそれ程興味の無い人でも
『笑点』だけは観ていたというぐらい
功績の大きい超長寿番組を支えてきた桂歌丸さん。
最近の6代目三遊亭円楽さんからの
年寄りネタ、死亡ネタでの攻撃に晒される姿は
記憶に新しい。
どちらも本来なら聞いていて不快になるハズの内容だが、
不思議とそれがない。
きっと双方が納得の上、
信頼関係と親しみをベースにしていたから
あんなに毒のある言われ方なのに笑って聞けたのかもしれない。
それに一番大きいのが人柄。
噺家の一番大切なものを教えてくれていたように思う。
日曜の夕方はいつもうら悲しい。
「ああ、また明日から一週間学校(または仕事)かと思うと
少々憂鬱になったものだ。
そんな気持ちを抱きながら
少しでも笑いで吹き飛ばそうとの期待を持って観ていた番組。
もう歌丸さんの司会が見られないと思うと
時代がまた一つ終わる寂しさ襲われそうだ。
降板発表時の円楽さんの涙目で語る贈る言葉が
濃密な人間関係と一抹以上の寂しさを訴え、
ファン・視聴者の気持ちをも代弁していたように感じた。
日本人に生まれてよかったと思える数少ない番組。
歌丸さんはそんな番組を支えていたのだと
番組降板を聞き、改めて思った。
そして「長い間、お疲れ様でした。」と
心を込めてその労をねぎらいたいと思う。
あまりに長い間、ずっと見てきた少年も
今はすっかり歳をとってしまったと感じるオヤジが一句。
客席に 紛れる姿 お宝に
お粗末。
大喜利の司会引退を発表した日本テレビの演芸番組
「笑点」(日曜後5・30)が1日に放送され、
平均視聴率は20・4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)
と今年最高を記録したことが2日、分かった。
従来の最高、1月31日と4月10日の18・7%を上回り、
今年初の大台突破。
歌丸の司会引退発表が視聴者の注目を集めたとみられる。
昨年は3月1日に24・2%を記録している。
歌丸は4月30日に都内で行った
「笑点50周年記念スペシャル」(15日後5・00)
の収録と収録後の会見で、
司会引退を発表。
昨年6月に入院するなど、近年は番組を休むことも増え
「体力の限界なんです」と説明。
番組の50周年と落語家生活65年の区切りの年に決断した。
22日の生放送が最後の出演となる。
現在のレギュラー陣の中でただ1人、
1966年の放送第1回から出演する番組の最大の功労者。
今後はレギュラー出演をやめ、
直前のPR番組「もう笑点」に出演する。
番組降板は制作スタッフの一部と出演者しか聞かされていなかった。
局によると、後任については検討中という。
-スポニチアネックス 5月2日(月)9時39分配信-
1966年5月15日の放送第1回から出演ということは
今年で50年ということになる。
あまりに長い年月、あの長寿番組を支えてきた人だ。
私の記憶の中では、同じく第一回から出演し、
1980年に急逝した
4代目三遊亭小圓遊との罵倒合戦が印象深い。
多分古くからのファンの中には、
歌丸対小圓遊のバトルを
楽しみにしていた視聴者も少なくないはずだ。
落語にそれ程興味の無い人でも
『笑点』だけは観ていたというぐらい
功績の大きい超長寿番組を支えてきた桂歌丸さん。
最近の6代目三遊亭円楽さんからの
年寄りネタ、死亡ネタでの攻撃に晒される姿は
記憶に新しい。
どちらも本来なら聞いていて不快になるハズの内容だが、
不思議とそれがない。
きっと双方が納得の上、
信頼関係と親しみをベースにしていたから
あんなに毒のある言われ方なのに笑って聞けたのかもしれない。
それに一番大きいのが人柄。
噺家の一番大切なものを教えてくれていたように思う。
日曜の夕方はいつもうら悲しい。
「ああ、また明日から一週間学校(または仕事)かと思うと
少々憂鬱になったものだ。
そんな気持ちを抱きながら
少しでも笑いで吹き飛ばそうとの期待を持って観ていた番組。
もう歌丸さんの司会が見られないと思うと
時代がまた一つ終わる寂しさ襲われそうだ。
降板発表時の円楽さんの涙目で語る贈る言葉が
濃密な人間関係と一抹以上の寂しさを訴え、
ファン・視聴者の気持ちをも代弁していたように感じた。
日本人に生まれてよかったと思える数少ない番組。
歌丸さんはそんな番組を支えていたのだと
番組降板を聞き、改めて思った。
そして「長い間、お疲れ様でした。」と
心を込めてその労をねぎらいたいと思う。
あまりに長い間、ずっと見てきた少年も
今はすっかり歳をとってしまったと感じるオヤジが一句。
客席に 紛れる姿 お宝に
お粗末。