立ち上げたのは立命館大学教授 稲葉 光行さん(51)。
冤罪が疑われる事件を再検証し、
無実の罪に問われた人たちを無償で救う
「イノセンス・プロジェクト」。
1990年代に米国で始まり、世界に広がる活動だ。
その日本版「えん罪救済センター」を4月に設立、
代表を務める。
青森県新郷村生まれ。
専門は情報学で、刑事司法は門外漢だが、
「無知から始まった」純粋な思いに突き動かされている。
きっかけは、6年前。
公職選挙法違反の罪で起訴された12人全員が無罪となった
鹿児島・志布志事件をめぐる元被告の供述分析のための現地調査に同行した。
事件のことはほぼ知らず、言葉の分析という技術的な興味からだった。
膨大な文章を定量的に解析し、有用な情報を取り出す
テキストマイニングという手法で約520通の調書を分析すると、
不自然な供述の変遷、自白と否認の繰り返しが浮き彫りに。
冤罪被害者の受けた傷の深さとともに、
コンピューター分析の可能性を感じた。
イノセンス・プロジェクトの存在を知ったのは1年前。
すぐに米国を視察し、弁護士や法学者、
心理学者、鑑定の専門家など約30人の協力者を集めた。
「飛行機事故が起これば技術屋は徹底的に原因を究明して直す。
そうやって技術は進歩してきた。
人間は違う。誤判や誤審も起こる。
原因を突き止め、同じ原因で間違いを繰り返さない司法を目指したい」
(大久保真紀)
-朝日新聞 2016.5.16-
この国にも数多くの冤罪があった。
テレビドラマ『99.9』でも冤罪からの救済をテーマに描かれているが、
その99.9という数字が微妙だ。
起訴され、有罪になった確率が99.9。
驚異的な有罪率とも思えるが、果たしてそうなのか?
過去には有罪が確定し、刑に服した後になってから
無罪が立証された例もある。
その場合、新たな証拠が見つかり、
明確に無罪を立証できる場合に限り再審が認められるという
極めて高いハードルを突破しなければならない。
要するに現段階では、どんなに冤罪を主張しても、
一旦起訴されてしまったら、ほぼ有罪が確定してしまうという
冤罪被害者にとって、極めて過酷な現実に晒されることになる。
捜査当局の思い込みの捜査や、安易な検察の取り調べなど、
不運の偶然が重なっての結果の場合もあろうが、
専門家に任せず分析が稚拙だったり甘かったりの場合もあったろう。
特にここ数年前あたりからDNA鑑定の分野で、
技術の進歩により精度が増し、
一旦確定したはずの裁判結果が覆された例も出てきた。
そうしたことから、他の案件の中にもまだ冤罪のまま
刑に服した人が他にもいるのではないかと疑ってしまう。
他人事だと思って油断していたら、
いつ自分の身に降りかかるかわからない。
捜査から起訴に至るまで、細心の注意を払うべきなのは当然だが
もし冤罪で窮地に立たされたとき、
頼りになる救済センターの存在は、
極めて重要であり貴重でもあると思う。
こうしたセーフティーネットを備えた社会を
成熟した社会と呼ぶのだろう。
何処かの国のように、ろくな裁判も受けられず、
すぐに死刑にされてしまうような野蛮な所に生まれた人々は
哀れであり、同情に値する。
しかしこの国も、つい70年以上前には、
人権を軽視した捜査や、ズサンな裁判で
無実の罪に泣かされた人は多かった。
特に思想統制の犠牲者の数は計り知れない。
そうした過去の教訓を忘れず、二度と冤罪を出さない決意と
姿勢をたもつには、成熟した社会と徹底した民主主義が
土壌になっていなければならない。
これからの活躍に、大いに期待したいと思うオヤジが一句。
家庭内 冤罪解決 誰がする?
お粗末。
冤罪が疑われる事件を再検証し、
無実の罪に問われた人たちを無償で救う
「イノセンス・プロジェクト」。
1990年代に米国で始まり、世界に広がる活動だ。
その日本版「えん罪救済センター」を4月に設立、
代表を務める。
青森県新郷村生まれ。
専門は情報学で、刑事司法は門外漢だが、
「無知から始まった」純粋な思いに突き動かされている。
きっかけは、6年前。
公職選挙法違反の罪で起訴された12人全員が無罪となった
鹿児島・志布志事件をめぐる元被告の供述分析のための現地調査に同行した。
事件のことはほぼ知らず、言葉の分析という技術的な興味からだった。
膨大な文章を定量的に解析し、有用な情報を取り出す
テキストマイニングという手法で約520通の調書を分析すると、
不自然な供述の変遷、自白と否認の繰り返しが浮き彫りに。
冤罪被害者の受けた傷の深さとともに、
コンピューター分析の可能性を感じた。
イノセンス・プロジェクトの存在を知ったのは1年前。
すぐに米国を視察し、弁護士や法学者、
心理学者、鑑定の専門家など約30人の協力者を集めた。
「飛行機事故が起これば技術屋は徹底的に原因を究明して直す。
そうやって技術は進歩してきた。
人間は違う。誤判や誤審も起こる。
原因を突き止め、同じ原因で間違いを繰り返さない司法を目指したい」
(大久保真紀)
-朝日新聞 2016.5.16-
この国にも数多くの冤罪があった。
テレビドラマ『99.9』でも冤罪からの救済をテーマに描かれているが、
その99.9という数字が微妙だ。
起訴され、有罪になった確率が99.9。
驚異的な有罪率とも思えるが、果たしてそうなのか?
過去には有罪が確定し、刑に服した後になってから
無罪が立証された例もある。
その場合、新たな証拠が見つかり、
明確に無罪を立証できる場合に限り再審が認められるという
極めて高いハードルを突破しなければならない。
要するに現段階では、どんなに冤罪を主張しても、
一旦起訴されてしまったら、ほぼ有罪が確定してしまうという
冤罪被害者にとって、極めて過酷な現実に晒されることになる。
捜査当局の思い込みの捜査や、安易な検察の取り調べなど、
不運の偶然が重なっての結果の場合もあろうが、
専門家に任せず分析が稚拙だったり甘かったりの場合もあったろう。
特にここ数年前あたりからDNA鑑定の分野で、
技術の進歩により精度が増し、
一旦確定したはずの裁判結果が覆された例も出てきた。
そうしたことから、他の案件の中にもまだ冤罪のまま
刑に服した人が他にもいるのではないかと疑ってしまう。
他人事だと思って油断していたら、
いつ自分の身に降りかかるかわからない。
捜査から起訴に至るまで、細心の注意を払うべきなのは当然だが
もし冤罪で窮地に立たされたとき、
頼りになる救済センターの存在は、
極めて重要であり貴重でもあると思う。
こうしたセーフティーネットを備えた社会を
成熟した社会と呼ぶのだろう。
何処かの国のように、ろくな裁判も受けられず、
すぐに死刑にされてしまうような野蛮な所に生まれた人々は
哀れであり、同情に値する。
しかしこの国も、つい70年以上前には、
人権を軽視した捜査や、ズサンな裁判で
無実の罪に泣かされた人は多かった。
特に思想統制の犠牲者の数は計り知れない。
そうした過去の教訓を忘れず、二度と冤罪を出さない決意と
姿勢をたもつには、成熟した社会と徹底した民主主義が
土壌になっていなければならない。
これからの活躍に、大いに期待したいと思うオヤジが一句。
家庭内 冤罪解決 誰がする?
お粗末。