夜の翼

オーディオ、音楽、車、ケータイなど好きなことを気ままに綴るブログです。

音の履歴(その13)~短すぎる春と長い氷河期、そして一瞬の輝き~

2009-12-29 06:18:50 | オーディオ
さて、そんなことで購入した77システム。
当時住んでいた鉄筋コンクリートの一戸建の2階、9畳の和室にセッティングすることにしました。
9畳と書きましたが、実はプラスアルファで少しだけフロアリングの部分があり、
その細長い部屋の端にあるわずかばかりの板の部分に
スピーカースタンドに乗せた77を置くことにしました。
77は密閉式であったので、壁に寄せてセッティングしても特に問題はありませんでした。
畳の部分においてスピーカー代がぐらつくよりはよいだろう、という判断でした。

スピーカーと反対側にテレビがあり、通常そちら向きに座椅子が置いてあったのですが、
音楽を聴くときは座椅子を反対側に向け聴くという形にしてました。

ラックは電源の関係もあって、リスニングポイントのすぐ右側に置きました。
そうなるとスピーカーケーブルを結構長く引き回さなくてはいけなかったので、
普通のOFCのスピーカーケーブルを値段で選んだ記憶があります。

301のときに懲りたので、スピーカーケーブルにお金をかける気にならなかったのですが、
今思うと77であれば、スピーカーケーブルによる音の変化は結構あったのかもしれません。
結局、スピーカーケーブルについてはその後変えられることはありませんでした。

そうしてセッティングして出てきた音は、301システムとは反対の方向。
中高域、解像度重視の方向ですね。
やはり、スピーカーに何を選ぶかによって基本的には音の方向は決まってしまいますね。
いや、301を中心としたあのシステムも悪くなかったのですが、
スーっと伸びた高域と解像度は、301では決して得られないものでしたから。
また、当時聴いていた音楽もどちらかというとロック系の比率が下がっていて、
アコースティック系の音楽を多く聴いていた関係もあったと思います。

中高音とは対照的に低音はあまり出ていなかったと思います。
密閉式のスピーカーなのでこんなもんかと思っていましたが、
純正のスピーカースタンドを使い、筐体の底を鳴らす方向でのセッティング、
しかもかなり壁際に寄せていたのにあの低音しか出ていなかったということは、
単にアンプの駆動力不足だったんじゃないかと最近になって思うようになりました。
30cmクラスのウーハーですから、それなりのアンプでなければ低音でなかったんでしょうね。
このころのダイアトーンのスピーカーはとくかく鳴らしづらかった
というような記事を最近になって見つけたものですから。

初めての一人暮らし。
1階にはその後カフェレストランが入りましたが、
鉄筋コンクリートなのでかなりの爆音で鳴らしてもちっとも下には響かず。
隣にアパートがあったものの、多少間が離れていたので窓さえ閉めていれば大丈夫。
スピーカーの間にラックなどの物はなく、リスニングポイントとの間にも邪魔なものはなかったので、
いままでの音楽試聴環境としては、間違いなくこのときが最高でした。
夜はさすがにボリューム控えめにしましたが、明るいうちは、かなりの爆音で・・・

実家の洋室8畳もよかったのですが、何せ木造の2階、しかも増築部分ということもあって、
床はそれほど強くなく、1階にもかなり響くのでそれなりには気を使っていましたから。
それが、このときはほぼ無制限。
今では到底考えられない環境です。

クラッシク好きの友人と二人で小沢指揮のマーラーの「巨人」を聞いてみたり。
歌ものは基本的には良い感じで鳴るシステムだったので、歌もの中心に聞いてました。
このシステムで初めて聞いたブルガリアンポリフォニーの感動というか衝撃は、忘れられません。
301では決してこの衝撃は感じられなかったでしょう。

そんな春は長くは続きませんでした。

そんな広くて高い家賃の部屋に学生が1人でいつまでも暮らすわけにはいかなかったのです。
賃貸物件が多く出る翌年の春には引越しをしました。
市の中心部からはかなり離れた住宅街の木造アパート1階です。
6畳と4畳半の和室が二間と台所という間取りでした。

良かったのは、たまたま角部屋であったことと家賃が安かったことだけ。
駐車場は縦列駐車の上に、車を出すときは20mぐらいバックしてようやく公道へ。
壁の隙間からアリが侵入してきて、起きたら畳がアリだらけだったのは
さすがにビックリしました。

周りの住人はというと、2階の住人はどうも同棲カップルだったらしく、
女性のほうが月1回ぐらいのペースで癇癪を起こし、
同居の男性を小一時間なじり続ける。
かなりの安普請のアパートだったため、その女性が何を言ってるかまで
ハッキリ聞こえてくるのには、最初こそ驚きましたが、
その後はすっかり慣れてしまい、月一回の恒例行事となりました。

隣は大学生らしい男性の一人暮らし。
ただこの人宴会好きで、しょっちゅう友達を呼んで宴会をする。
夜の6時ぐらいから始まって、ファ一気をする声が丸聞こえ。
「うるせーなー」と思いながら寝て、翌朝起きてもまだ宴会が続いていたのには、ほんと呆れましたよ。

そんな環境ですから、大きな音で音楽を鳴らすなんてことは到底できず、
隣と上の住人がいないのを確認できたときだけは、ほどほどの音量でスピーカーを鳴らすぐらいでした。

そんな環境は、大学を卒業しても続きました。
就職して実家のある県の某市に6年間住むこととなりましたが、
住んでいたアパートと似たような感じのアパートでした。
今度は木造ではなく軽量鉄骨、1階でしたが角部屋ではなかったです。
防音の面では大学の時の木造アパートよりは多少はましでしたが、
まあスピーカーを爆音で鳴らすなんてことは所詮無理。

この6年間というのは、もちろん音楽は聴き続けてはいましたが、
週刊FMが廃刊になってからというもの、音楽関係の雑誌というものを購読していなかったので、
音楽の流行にはすっかり疎くなっておりました。
何かほかの音楽雑誌を買おうと思ったのですが、これといったものがなく結局購読には至らず。
音楽への関心が比較的薄かった時期でもあったので、CDを購入する機会も減っていて
昔買ったCDをダビングしたカセットテープを車の中で聴くことが多くなっていました。

その後実家に戻りますが、例の8畳の洋室は妹が占領したまま。
浪人時代をすごしたあの4畳半の和室に逆戻りです。
301システムはすっかりボロボロになっていたので、
301だけ残して、すべて物置にしまいこんで代わりに77システムを置きました。
背の高いデンオンのラックは使えないので、なつかしのGTラックにセットしました。
301は、77ともにアンプにつながれ、ときどきスピーカーを切り替えて聞いていましたね。
もちろん妹の部屋なので、妹のいない隙を狙ってちょっと聞くぐらいしかできませんでしたが。

そうして結婚して実家を出るまでの約2年間、4畳半にはラジカセすらありませんでした。
77システムを使うのは、CDをカセットテープにダビングするときぐらいになってました。
実家を出る直前、2月に妹のほうが先に結婚して実家を出たので、
約2ヶ月だけ、あの8畳の洋室に戻ることができました。
実に13年ぶりです。
妹が残していったベッドがあるぐらいで高校生の当時とそんなには変わらず。
とにかく懐かしかったですよ。
システムは77に変わっていて、それも10年落ちでしたが、
久々に家で自由に音楽を楽しむことができました。
ほんの一瞬、「青春の輝き」を取り戻した感じでした。

Yesterday Once More・・・

(ようやく昔語りは終わり。次回からは現在の話となります。)