晴耕雨読を綴る。

3.11から考え方を変えた。液状化と直下型地震に脅える日々。自然の驚異を感じながらも、共生と調和を求めていく!

兄の死・・・最終章。

2014-09-26 01:30:04 | 暮らし
 4回にわたって兄の死について書いてきた。そろそろ書き記しておきたいことも少なくなってきた。これを最終章として今後は自分自身のために、今後どうやって生きていくか?どこでどのような生活を目指していけばいいのか、じっくりと考え、実行していかなければと思っている。

 親子兄弟7人のうち既に4人が鬼籍に入っていった。あの世とやらで仲良く話し合っているかもしれないし、喧嘩の続きをやっているかもしれない。あの世のことは全く見えてこないが、仏になってしまえばこの世のことはすべて水に流しているのだろうと想像する。

 思い起こせば兄との関係において、思い出すようなことはあまりない。年が10歳も離れていると共に遊んだこともなく、また酒を酌み交わしたことも記憶にない。要は人間関係において接点があまりなく希薄な関係だった。兄貴らしいことをしてもらったことはない。困ったときに相談したこともない。それで76年が経過している。気が合わないということか。

 一周忌に何を話そうか。思い出話なぞしたいと思うのだが、何もない。親父、お袋、すぐ上の姉のことだったらいくらでもあるが、長兄のことについては全くない。すべては完了したと思えばいい。

 これで田舎とのかかわりはなくなるだろう。兄が入ってしまった墓参りなんかしたくない。困ったことだ。せいぜい法事のときに参ろうか。

 田舎には弟一人しか居ない。彼は身内の中で一番年上になるので何かと大変だろう。田舎の付き合いなんて考えただけでいやになる。どこの誰が死んだ。香典はいくらにするか。花輪はどうするか。これからこんなことばかりが続いていく。すべて弟に任せておこう。その代わり文句は言えない。黙って従うか?

 兄嫁はどうするのだろう。既に腰も曲がり、すっかり弱っているようだ。子供の誰かが一緒に住めばいいが、そうは行かないだろう。こんなことになることは、先刻承知のはずだが、人間なんてそのときそのときの絵しか描けないのだ。さびしく生きればいい。そして一人で死んでいけばいい。これまで親子兄弟の関係において、よいことをしたことがあるのか。自分の子供に対しては充分しただろう。しかし、世の中自分たちばかりではない。何らかのつながりを持っているはずだ。あなたを尊敬する人はいるのか?おそらく一人も居ないだろう。なぜか?それはあなた自身の生き方にある。世間知らずが知っているような顔をする。知ったような意見をする。お前さんが言うようなことは誰でもわかっている。止めたほうがいい。まして、みんなそれぞれそれなりの経験者だ。もしかしてあなたよりずっと多くのことを経験しているかもしれない。馬鹿丸出しのことは止めたほうがいい。

 まずは、家を守ってもらいたい。われわれの故郷を大事にしてもらいたい。たまには行く機会があるかもしれないし、ないかもしれない。この数十年全く行っていない。こいともいわなかった。そんなところにいけるか。そんな人の気持も分からないくせに人並みのことを言うではない。

 やっぱり兄嫁のことがけりがつくまで死ねないぞ。最後までお袋に代わって見届けてやろう。そこまでは俺の仕事であり、親の供養と思っている。