晴耕雨読を綴る。

3.11から考え方を変えた。液状化と直下型地震に脅える日々。自然の驚異を感じながらも、共生と調和を求めていく!

自分史…第八編。

2008-06-10 10:01:47 | 日記
 麻は、現在ではとんとお目にかからなくなった繊維である。むしろ高級品として夏用の衣服類に使用されている。少し、ざらざら感はあるが、さらさらとしてべとつかず夏の衣服には欠かせない良いものである。

 しかし、昭和初期までは重要な戦略物質であった。腐りにくい点から、船具のロープ類、軍服、ザック類ありとあらゆるものに使用されていた。今、国内ではごく一部でしか栽培されなくなってしまったが、当時は主要な生産品であった。

 繊維をとった後の麻殻は一定の長さに切りそろえられ、先に硫黄をつけてマッチの代わりをしたり、そのまま屋根材として使用されていた。今では麻殻で葺いた屋根等皆無になってしまっている。

 当時、隆々としていた国策会社、帝国製麻㈱は今でも健在であり、名門企業の一つに上げられているはずだ。

 その麻栽培を朝鮮半島で行うために、父は朝鮮府庁へ勤務することにしたのだろう。役得というのか、しばしば果樹園へ連れて行ってもらった。その季節季節にリンゴ、ぶどう、なしなどおいしくいただいた記憶がある。まだ5~6歳の頃の思い出である。リンゴは特においしかった。

 桜が咲いていた。母に連れられて小学校の門をくぐった。何回かの脱出失敗の関係で帰国までに数ヶ月を要していた。私は一年生からやり直したいと主張したが、母は年齢どおり2年生を薦めた。今思えばそれでよかったと思っている。私は当時時計の見方が分からなかった。何時前といったり、過ぎといったり、60進法が飲み込めなかったのである。一人悩んでいた。これもあれも欠落した一年間のためだと決めてかかっていた。しばらくは、そんな悩みを抱えていたのだ。


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