50年前高校生時代に遊びとして写真部に所属していたことがある。勿論、白黒写真の時代であるが、自分でそれなりにフィルム現像から写真現像まで一通りはこなしたような気がしている。 絵画と同様にまずは構図を独習し、露出を考え、当時流行っていた撮影会へ(モデル撮影)参加などしていた。 ところが田舎の進学高校がゆえに、それを指導してくれる先生がいなかった。みな仲間同士の独学というか自己流でしかなかった。
カメラといえば、金持ちの息子共は当時でもLeicaを持ってきたりたりContaxであったり、今でも中々手の届かないカメラを引っさげ来ていた。私は、Mamiyaを使っていが、Topconであったり、Richoフレックスであったり,機種は現況より多かったように記憶している。
何事も先生の指導は、大切である。基本を学びその上に個性を継ぎ足していくこと、その先は天性といえるのかもしれない。次回に傑作をご披露したいと考えている。
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