延命殿(旧地蔵院)を出て、弘法大師創建当初から残っているという日本最古の鐘楼門をくぐり本堂へ。
右手に放生池が見えてきた。
池の畔に何か立てられている。
私にはそれが何かが分からない。
ここはきっと“極楽浄土”を表しているのだろう。
私は地獄を覗きに来たはずやったのに・・・
そんな思いを持ちながら、靴を脱いで本堂へと上がった。
階段を上った天井には“血天井伝説”。
昨年、ブログに書いた龍王山に山城があった戦国時代、
このお寺も合戦の場となったそうだ。
そのとき、血が付いた床板を天井板に再利用したため、今日までそれが残っているのだという。
まさに“地獄”への入り口の証拠やろか?
本堂に入ると、そこには本尊の阿弥陀三尊、その傍には多聞天と増長天があった。
そして、壁にはお目当ての“大地獄絵”が架かっていた。
http://www.chogakuji.or.jp/bunkazai/zigokue/zigokue.html
http://www.chogakuji.or.jp/bunkazai/kaisetu/kaisetu.html
しかしその時、地獄絵の前には二人の女性がいた。
後ろ姿を見て、私はてっきり親子だと思い込んでいた。
私はその二人が見終わるまで、縁に座って庭園の池をぼんやり鑑賞することにした。
それは、地獄絵をじっくりひとりで見たかったから。
暫く待つと、二人の女性が出てこられた。
その姿を見て驚いた!
後ろ姿と服装から30代位?と思っていた女性は・・・70~80歳?
なんともいえない雰囲気の方やった・・・
@長岳寺の歴史
天長元年(八二四)淳和天皇の勅令により、弘法大師が大和神宮の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には子院四十八ヶ坊、衆徒三百余名を数えた。以来幾多の栄枯盛衰を重ねながらも、千百八十余年間連綿と法燈を守り続け今日に至っている。
「写真;長岳寺本堂と池」
右手に放生池が見えてきた。
池の畔に何か立てられている。
私にはそれが何かが分からない。
ここはきっと“極楽浄土”を表しているのだろう。
私は地獄を覗きに来たはずやったのに・・・
そんな思いを持ちながら、靴を脱いで本堂へと上がった。
階段を上った天井には“血天井伝説”。
昨年、ブログに書いた龍王山に山城があった戦国時代、
このお寺も合戦の場となったそうだ。
そのとき、血が付いた床板を天井板に再利用したため、今日までそれが残っているのだという。
まさに“地獄”への入り口の証拠やろか?
本堂に入ると、そこには本尊の阿弥陀三尊、その傍には多聞天と増長天があった。
そして、壁にはお目当ての“大地獄絵”が架かっていた。
http://www.chogakuji.or.jp/bunkazai/zigokue/zigokue.html
http://www.chogakuji.or.jp/bunkazai/kaisetu/kaisetu.html
しかしその時、地獄絵の前には二人の女性がいた。
後ろ姿を見て、私はてっきり親子だと思い込んでいた。
私はその二人が見終わるまで、縁に座って庭園の池をぼんやり鑑賞することにした。
それは、地獄絵をじっくりひとりで見たかったから。
暫く待つと、二人の女性が出てこられた。
その姿を見て驚いた!
後ろ姿と服装から30代位?と思っていた女性は・・・70~80歳?
なんともいえない雰囲気の方やった・・・
@長岳寺の歴史
天長元年(八二四)淳和天皇の勅令により、弘法大師が大和神宮の神宮寺として創建された古刹であり、盛時には子院四十八ヶ坊、衆徒三百余名を数えた。以来幾多の栄枯盛衰を重ねながらも、千百八十余年間連綿と法燈を守り続け今日に至っている。
「写真;長岳寺本堂と池」
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