大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

円空への旅:千光寺

2013年08月02日 | 東海
今回の「円空への旅」の最後の目的地は“千光寺”。

“千光寺”は高山市街からかなり離れた山の中腹(八合目あたり?)にあると、朝市からの帰りに立ち寄った駄菓子屋の塩せんべいを焼いていた店主から聞いた。

話では店主が生まれたのは、この“千光寺”の近くだという。
非常に懐かしそうに話をされていた。
私が“円空仏”を観に、遙々奈良からここまで訪ねて来たのが嬉しかった様子。

@千光寺
古来、人々の信仰を集めてきた聖地・霊場と呼ばれるものが日本にはたくさんある。「飛騨千光寺」もその一つだ。正式には袈裟山(けさざん)千光寺といい、標高900メートルの山上に建てられている本堂や庫裏などの建物も含め、山全体が信仰の対象となっている。
1,600年の昔、乗鞍山麓に住んでいたという伝説の怪人両面宿儺が開山し、その後、弘法大師十大弟子の一人である真如親王が堂宇を建立。高野山の末寺となった。
以来、鎮護国家の道場として隆盛を極めたが、戦国時代、甲斐の武田軍に攻められ全山焼失。天正15(1589)年、高山城主金森長近によって本堂や庫裏が再興され今に至る。

千光寺は飛騨における円空ゆかりの寺としても名高い。弁財天像など3体を納めた厨子の扉の内側に「貞享二(1685)年五月吉祥日」と記載されていることから、この頃千光寺に滞在していたらしい。時に円空は54歳。人間的にはもちろん、仏師としての技量も円熟味を増していたことだろう。

「当時千光寺の住職だった瞬乗(俊乗)和尚は円空さんと意気投合し、放浪の旅を続けていた円空さんを温かくもてなしました。円空さんは千光寺を拠点に飛騨各地を巡って仏像を彫っていたようです。」と語るのは、住職の大下大圓(だいえん)さん。
千光寺滞在中、円空は仁王門近くに生えていた2本の立木に仁王像を刻んだ。「近世畸人伝(きんせいきじんでん)」(伴蒿蹊(ばんこうけい)著)には、人々が見守る中、片肌脱いで立木にかけられた梯子を上り鉈をふるう円空の愉快な挿絵とともに、そのエピソードが紹介されている。
仁王像は150年前まで立木に刻まれた姿のまま、仁王門のそばにあったが、風雨にさらされて傷みが激しく、現在は「円空仏寺宝館」に安置されている。左手奥に立つのが「阿」(あ)、入口正面が「吽」(うん)、像である。

「円空仏寺宝館」には64体の円空仏や円空画像、書画、歌集などが納められている。「両面宿儺像」は円空の代表作だ。鉈を上から下に振り下ろす鉈ばつりの妙技によってダイナミックに刻まれた伝説の怪人は、実は大和朝廷に征服された飛騨の豪族ともいわれている。
このほか愛らしい「賓頭廬(びんづる)」像や3体が1本の木から造られている不動明王・金剛童子・善財童子、三十三観音像など、円空の祈りが込められた仏たちは参拝者に春の陽だまりのような微笑を投げかけている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おんぱらの夏2013 | トップ | 橿原ロイヤルホテル最上階か... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東海」カテゴリの最新記事