石切場から細い山道を岩屋峠へ。
岩屋峠の手前にあった道標を見て「岩屋」へ向かった。
岩屋への道に横たわっていたのが「岩屋杉」。
樹齢約千年、高さ28m、根周り5.8m,10年ほど前の台風で倒れたのだという。
「岩屋杉」の下を潜ると「岩屋」が見えてきた。
「岩屋」は上代の寺跡で、西向きに間口7m、高さ6m、奥行き4mの石窟に大小2基の石塔がある。
須恵器等が出土し、奈良時代の築造と云われる。
大石窟の内部中央の3層の凝灰岩製多層塔(高さ3m)の石塔台座下部に涌水を溜める小坑があるらしい。
北壁面には三尊立像の浮き彫りがあるが、剥落が著しく、光背部分の識別が辛うじて出来るだけであるというが,私には文字(漢字)が書かれているとしか見えない。
誰かの落書き???
石窟上部の壁面に数カ所円形の水平坑が穿たれ、木造の覆屋構造があった可能性が強く、一説では中将姫が當痲曼陀羅をここで織ったと云われている。
中将姫か・・・
岩屋峠の手前にあった道標を見て「岩屋」へ向かった。
岩屋への道に横たわっていたのが「岩屋杉」。
樹齢約千年、高さ28m、根周り5.8m,10年ほど前の台風で倒れたのだという。
「岩屋杉」の下を潜ると「岩屋」が見えてきた。
「岩屋」は上代の寺跡で、西向きに間口7m、高さ6m、奥行き4mの石窟に大小2基の石塔がある。
須恵器等が出土し、奈良時代の築造と云われる。
大石窟の内部中央の3層の凝灰岩製多層塔(高さ3m)の石塔台座下部に涌水を溜める小坑があるらしい。
北壁面には三尊立像の浮き彫りがあるが、剥落が著しく、光背部分の識別が辛うじて出来るだけであるというが,私には文字(漢字)が書かれているとしか見えない。
誰かの落書き???
石窟上部の壁面に数カ所円形の水平坑が穿たれ、木造の覆屋構造があった可能性が強く、一説では中将姫が當痲曼陀羅をここで織ったと云われている。
中将姫か・・・
八百屋お七とごちゃ混ぜに、蛇と梵鐘が姫でしたか?
どち ら も今世の私には縁が無さそうです;><:。
トンズルボウはマオリ語、、ニュージーランドと繋がっているのですか。。
よく似ていますものね、オークランドに10ヶ月居た時、花や木々は同じやと思いました。
突風が吹きましたが、最近私の住んでいる所も風がきつくなっています。
N盆地はロマンがございませんでしたか、あはは。
アンマンでも召し上がれ~~♪
当麻寺に伝わる伝説です。
またゆっくり書いてみたいと思います。
しかし、あれは一人の力では作れないなあ。つまり、そういうグループが古代にあって、アチコチに広がったか???きのう、万葉集、ジュニア版を図書館で借りてきまして徹底的に持ってる本と搗き合わせてさ・あ・あ・・・10時間くらい。これって勉強とはいえないなあ。楽しいです。時々、カーンとはまります。持統女帝に対する見方が変わりました。
この春に歩いた熊野古道・和歌山県糸我の雲雀山http://blog.goo.ne.jp/urikame2007/e/12f594ccbb04793f2265564818f50d8c
和歌山で中将姫に出会うとは驚きでした。
瓜亀様、昨日名神で帰宅しましたがヤバかったです。
横から突風で、車体が左に持っていかれます、必死でハンドル調整してると追い越し車線の乗用車が寄って来るんです。
瀬田から事故で渋滞、すると京滋線から突如車線変更割り込み!!
ヤット、京都東で降りると其処から大石橋までガチ渋滞で10分が2時間近く掛かりました。
祇園で娘を降ろし家までマタマタ市内が渋滞。
夜寝るまで体が揺れておりました。
お陰様で無事帰れました、ご心配をお掛けしました。
太陽の道と三輪山のお話、熊本の石山で体験しましたが、次回に又聞いてくださいませ。
我が家の子どもたちも、食べたもののことは忘れずに覚えているようです。
せやけど、しらすはホンマに美味しい!
私は日曜日の夜に次男を送って大阪まで車で行きました。
ちょうど台風崩れの低気圧が、大阪あたりに接近している最中です。
でも、あんまり風雨はキツクありませんでした。
お互い無事でよかったヨカッタ。
>太陽の道と三輪山のお話、熊本の石山で体験しましたが・・・
このお話、教えてくださいね!