大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

光雲寺境内へ

2012年05月09日 | 明日香村・高取町
我が家から母の里へ行こうとすると、途中に「郡界橋」を渡る。
その「郡界橋」の少し手前に大きな杉の樹が見える。
その樹を見て「鐘楼門」を入ると、本堂が県文化財の黄檗宗越智山「光雲寺」やった。

1346年(興国7年)越智邦澄が菩提寺として創建され、元「興雲寺」と称し、1446年(文安3年)復興して、雪江門下四哲の1人景川宗隆が開山で、その法幢は門下の悦堂宗懌らによって後世に伝承され、大和方面へ禅宗が進出する拠点であったが、南都諸寺の旧勢力に阻まれて、ほとんどその教線を伸ばすこと無く、越智氏の没落後は一時寺運も衰えた。

1680年代(天和年中)中興開山鉄牛が来住され、越智氏の石碑八基を改葬して復興に努め、1698年(元禄11年)天湫(てんしゅう)による再興以後「光雲寺」と称している。

境内の奥には「越智邦永、邦澄」親子の五輪塔があった。

他に「椿寂寿長大禅定門元亀二年辛末九月廿四日」の銘文がある「越智家高」の墓碑も側にあり、元亀二年は室町時代の末期で、1571年8月4日松永久秀が筒井方の辰市城(奈良市西九条町)を攻めて大敗しているという。
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2 コメント

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先日行った初瀬朝倉のあたり (山口ももり)
2012-05-09 11:13:33
 先日行った初瀬・・・雄略天皇のこと知りたいとパソコンを見ていましたらこんなステキな文章を見つけました。
月刊誌「ならら」の平成十一年九月号に掲載されたエッセイストの中島史子氏の「葛城古道の秋」という紀行文の中で、「古来この地に住みついていた人たちが、自然と神との一体感の中で、葛城の歴史を創造してきた」との趣旨を述べられているのを読み、快哉の念を抱いたことを覚えている。
次の文は、この紀行文の冒頭に書かれた小節を抜粋したものである。
「明日香の地を『ここは、神話と歴史との別れるところ、人が神のもとから去って、人間として創造をはじめたところである。』と書いた人がいる。だとしたら、葛城山麓一帯は神も人も   渾然として天地を駆けめぐり、神話が歴史であり、歴史が神話であったところ。
古代、人は神話の世界に自由に行き来し、心のままに悲しみ喜び、力の限り戦い、そして高らかに愛を謳 ( うた )った。
緑の木立が誘い込む野道、草が匂うあぜ道には神と人との饗宴の残り香が今も漂っている。・・・・・・」
 いいなあ!!!いいえて妙!!ですねえ。
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Unknown (瓜亀仙人)
2012-05-11 17:55:57
ももりさんへ
本当にすてきな文ですよねぇ~
葛城の道、御所市高天あたりの風景が目に浮かんできます。
かつてここに“高天原”があったというのです。
http://takama.sakura.ne.jp/
ホントニいいトコですよ~!
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