我が家から母の里へ行こうとすると、途中に「郡界橋」を渡る。
私はこの「郡界橋」という名が好きというか、気になってしかたない。
おそらく「高市郡」と「(旧)南葛城郡」の境にあるから、そう名づけられたのだろう。
その「郡界橋」の少し手前に大きな杉の樹が見える。
今までその奥にお寺か神社があるんやろうと思いながら通過してきた。
今回、その樹を観に寄り道をすることにした。
@光雲寺(こううんじ)の「厄除杉」
「光雲寺」の参道入り口に樹高15m、幹周り5.2m、推定樹齢700年の巨樹「厄除杉」が植わっています。後醍醐天皇の南朝方で活躍をした越智邦澄が1332年(元弘2年)高取城を築いた時に植えたと伝えられ、1582年(天正10年)織田信長の命により、筒井順慶が越智氏の家臣鳥屋陣羽守を攻めた時、陣羽守の息子二人が、この木に登って難を逃れ、その時、息子の歳が42歳と25歳の厄年だったので「厄除の杉」と呼ばれ、明日香村「岡寺」の「星祭り」にこの杉の枝を持ち帰って厄払いに使い、平成9年奈良県により保護樹木に指定されています。
私はこの「郡界橋」という名が好きというか、気になってしかたない。
おそらく「高市郡」と「(旧)南葛城郡」の境にあるから、そう名づけられたのだろう。
その「郡界橋」の少し手前に大きな杉の樹が見える。
今までその奥にお寺か神社があるんやろうと思いながら通過してきた。
今回、その樹を観に寄り道をすることにした。
@光雲寺(こううんじ)の「厄除杉」
「光雲寺」の参道入り口に樹高15m、幹周り5.2m、推定樹齢700年の巨樹「厄除杉」が植わっています。後醍醐天皇の南朝方で活躍をした越智邦澄が1332年(元弘2年)高取城を築いた時に植えたと伝えられ、1582年(天正10年)織田信長の命により、筒井順慶が越智氏の家臣鳥屋陣羽守を攻めた時、陣羽守の息子二人が、この木に登って難を逃れ、その時、息子の歳が42歳と25歳の厄年だったので「厄除の杉」と呼ばれ、明日香村「岡寺」の「星祭り」にこの杉の枝を持ち帰って厄払いに使い、平成9年奈良県により保護樹木に指定されています。
奈良・大和でもいろんな戦いがあったのです。
古代~奈良時代だけが、奈良・大和ではないのですよね。