柳生の芳徳禅寺は小高い丘の上にあった。
その丘から柳生の里を見渡すと、大きな鉄筋の建物が見えた。
たしか、あの建物は中学校のはず。
その向こうの山際に小さく見えるのが「家老屋敷」?
立派な石垣やなぁ~
以前に見学したから、今回パスした。
家に帰って調べてみると、知らないことが分かった。
この「家老屋敷」は、
徳川幕府の兵法指南役として領地を離れることの多かった柳生藩主に代わって柳生藩南都屋敷を預かり、藩の財政立て直しを行った家老小山田主鈴が隠居後に暮らした屋敷だという。
大きな石を組み上げた豪奢な石垣は、天保12年(1841)に尾張の石工が築いたもので、屋敷は嘉永元年(1848)に建てられた。
昭和39年には作家の「山岡荘八」氏が買い取り、柳生宗矩を主人公にしたベストセラー小説『春の坂道』の構想を練ったといわれている。
前の家主が、「山岡荘八」とは知らんかったなぁ~
今、私は歴史小説に夢中!
司馬遼太郎の次は「山岡荘八」を読むぞ!
「山岡荘八」と云えば『徳川家康』。
でもその前に、この柳生が舞台で大河ドラマになった『春の坂道』を読まんとあかんよなぁ~
「写真;旧柳生藩家老屋敷」
その丘から柳生の里を見渡すと、大きな鉄筋の建物が見えた。
たしか、あの建物は中学校のはず。
その向こうの山際に小さく見えるのが「家老屋敷」?
立派な石垣やなぁ~
以前に見学したから、今回パスした。
家に帰って調べてみると、知らないことが分かった。
この「家老屋敷」は、
徳川幕府の兵法指南役として領地を離れることの多かった柳生藩主に代わって柳生藩南都屋敷を預かり、藩の財政立て直しを行った家老小山田主鈴が隠居後に暮らした屋敷だという。
大きな石を組み上げた豪奢な石垣は、天保12年(1841)に尾張の石工が築いたもので、屋敷は嘉永元年(1848)に建てられた。
昭和39年には作家の「山岡荘八」氏が買い取り、柳生宗矩を主人公にしたベストセラー小説『春の坂道』の構想を練ったといわれている。
前の家主が、「山岡荘八」とは知らんかったなぁ~
今、私は歴史小説に夢中!
司馬遼太郎の次は「山岡荘八」を読むぞ!
「山岡荘八」と云えば『徳川家康』。
でもその前に、この柳生が舞台で大河ドラマになった『春の坂道』を読まんとあかんよなぁ~
「写真;旧柳生藩家老屋敷」
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