大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

根来寺へ

2011年10月03日 | 和歌山県
まだブログに書いていないこと。
私は8月末に和歌山県にある“根来寺”へ行ったのだ。
“根来寺”は,新義真言宗の総本山。

中世には堂塔2,700寺領72万石、僧兵の勢力も強大となり、一大武装集団として成長する。天正十三年(1585)、秀吉の根来攻めで、大塔・大師堂以外の建物がすべて焼失。江戸時代に復興される。
戦国時代の根来寺の勢力は、南河内から和泉、岸和田付近まで及んでいた。鉄砲をいち早く取り入れた強力な武装集団として、戦国大名に以上の武力を持つ集団と化していた。
織田信長は、石山本願寺の粛清の一環として天正五年(1577)、本願寺の兵力の一翼を担う雑賀党を攻め、鈴木孫一らに率いられる雑賀衆は、信長の軍門に下る。その余勢をかって信長は、高野山を攻めるものの、根来寺の軍勢の動向を意識し、決定的な策をとることができなかったという。
信長没後、羽紫秀吉が天下統一にのりだし、尾張で徳川家康・織田信雄の連合軍を攻めた。この時、秀吉の制圧を予期した根来勢は、徳川・織田方と通じ、岸和田城を攻めたものの、秀吉の留守部隊に敗れたとされる。翌・天正十三年(1585)、徳川家康と和議を結んだ秀吉は、「根来一寺を滅ぼせば、紀州の諸豪族は刃を交えず降伏する」と、根来勢の徹底壊滅を決意。10万の大軍を相手に根来勢は、積善寺をはじめに、千石堀、沢、畠中と次々に出城を攻め落とされ、根来寺に秀吉軍が着いた時には、寺衆はすでになく抵抗する者もいなかったと伝えられる。こうして、中世の紀北を席巻した根来寺とともに根来一山は灰燼に帰した(『岩出町資料』)。

“根来寺”の印象は???
国宝の“大塔”が凄かった!
高さ40メートル、幅15メートルの日本最大の多宝塔。
「多宝塔」とは二層一階建ての塔で、通例、初層(裳階)の平面が方形、上層が円形に造られる。
この塔も、初層の外見は方形だが、初層内部には円形の内陣が造られており、円筒形の塔身の周囲に庇を付した、多宝塔本来の形式をとどめていた。
内部には12本の柱が円形に立ち、そのなかに四天柱が立っている。
解体修理の際に部材から発見された墨書により、文明12年(1480年)頃から建築が始まり、半世紀以上経た天文16年(1547年)頃に竣工したと考えられている。

また、基部には秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕が残されていた。
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6 コメント

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Unknown (kazuyoo60)
2011-10-03 15:54:08
お寺も弾圧や戦乱に巻き込まれました。色々有ってもやっぱり戦争の無い方が有り難いです。
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wpqwd906@ybb.ne.jp (男爵様)
2011-10-03 16:33:46
 歴史好きの男爵様は、根来衆と言う言葉をよく聞きました。
 僧兵は石山本願寺派の僧兵が有名ですが、根来衆の兵隊も強かったんですね。
 鉄砲を装備した僧兵は精神的にも(僧侶だから)戦力的にも強かったんでしょう。
 歴史は良いですね・・ロマンがあります。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-10-03 21:10:49
kazuyoo60さんへ
私のご先祖様は、談山神社に勤務していました。
当時の談山神社の僧兵は約3000人と言います。
よく、奈良・興福寺の僧兵と戦っていたようです。
ご先祖様も戦ったのでしょうかね?

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Unknown (瓜亀仙人)
2011-10-03 21:14:04
男爵様へ
>歴史好きの男爵様は、根来衆と言う言葉をよく聞きました。
私も最近、歴史が好きです!
今回は秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕を探して境内をウロウロ。
ネットの写真だと、「火縄銃の弾痕」という張り紙があるはずだったのですが・・・
受付で聞くと、張り紙は外したとのことでした。
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地理女入門 (山口ももり)
2011-10-05 09:05:02
お・お・お・・・此方は銃痕がしっかり残っていたのですね。・・・・戦国時代の根来寺の勢力は、南河内から和泉、岸和田付近・・・こういう説明がピンと来るくらいには地理が頭に入っています。今ならね。2~3年くらい前ならまるで・・・舟で往来するって言うのは昔は陸よりはるかに便利で軽快だtったのでしょうね。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-10-05 18:02:08
ももりさんへ
あの日,銃痕あとを探し当てて大満足でした!
根来寺は,西国巡りをしていたとき,粉川寺を訪ねたときに寄りました。
当時は巨大な勢力やったんでしょうねぇ~

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