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頭塔を見たあと、久々に“ささやきの小径”を歩いてみたいと思った。
「破石町」バス停から北へ行き、大きな交差点を右(東)へ折れようとした。
その交差点には、「志賀直哉旧宅」「新薬師寺」の案内表示板。
しもた~。
新薬師寺は大和十三仏のお寺やったんや~
あの長岳寺で戴いた集印屏風、持って来んの忘れた・・・
東へ暫く歩き、細道を左(北)へ入ると「志賀直哉旧宅」が在った。
文豪志賀直哉が自ら筆を執って設計した二階屋の住宅。
彼は尾道をはじめ生涯20数度の転居を繰返し、他では数年余の短期間であるのに、奈良では大正14年から13年間も住み、ここで「暗夜行路」を執筆したそうだ。
一時取り壊しが決定したのだが、市民運動の結果、現在は大学のセミナーハウスとして利用されているのだ。
以前見学したこともあり、今回は「志賀直哉旧宅」「新薬師寺」の見学はパス1回。
時間の都合もあり、“ささやきの小径”に急いで入ろうとしたのだが・・・
その入り口を間違ってしまった。
なぜ、私が“ささやきの小径”に拘るのか?
それは、中学生の頃、この馬酔木の原生林が生い茂る小径で、油絵を描く美しい女性を見かけたから。
未だにそのときのことを忘れられないでいるのです。
@下の禰宜道(しものねぎみち)・通称「ささやきの小径」
かつて、高畑社家町から春日の禰宜(神官)たちが春日大社へ通った道で、上高畑町から二の鳥居、車舎へ通じる。
「写真;ささやきの小径」
「破石町」バス停から北へ行き、大きな交差点を右(東)へ折れようとした。
その交差点には、「志賀直哉旧宅」「新薬師寺」の案内表示板。
しもた~。
新薬師寺は大和十三仏のお寺やったんや~
あの長岳寺で戴いた集印屏風、持って来んの忘れた・・・
東へ暫く歩き、細道を左(北)へ入ると「志賀直哉旧宅」が在った。
文豪志賀直哉が自ら筆を執って設計した二階屋の住宅。
彼は尾道をはじめ生涯20数度の転居を繰返し、他では数年余の短期間であるのに、奈良では大正14年から13年間も住み、ここで「暗夜行路」を執筆したそうだ。
一時取り壊しが決定したのだが、市民運動の結果、現在は大学のセミナーハウスとして利用されているのだ。
以前見学したこともあり、今回は「志賀直哉旧宅」「新薬師寺」の見学はパス1回。
時間の都合もあり、“ささやきの小径”に急いで入ろうとしたのだが・・・
その入り口を間違ってしまった。
なぜ、私が“ささやきの小径”に拘るのか?
それは、中学生の頃、この馬酔木の原生林が生い茂る小径で、油絵を描く美しい女性を見かけたから。
未だにそのときのことを忘れられないでいるのです。
@下の禰宜道(しものねぎみち)・通称「ささやきの小径」
かつて、高畑社家町から春日の禰宜(神官)たちが春日大社へ通った道で、上高畑町から二の鳥居、車舎へ通じる。
「写真;ささやきの小径」
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