今回の四国・松山への旅に出る前に見たTVが『城下町へ行こう松山』やった。
TV番組の内容は、
今回は〝いで湯と城と文学のまち〟愛媛県「松山」の城下町を訪ねる。
難攻不落の巨城「松山城」。
日本書紀にも登場する日本最古の温泉「道後温泉」。
俳人・正岡子規や、名将・秋山兄弟など優秀な人材を輩出した町、松山の不思議とは・・・
まずは、松山のシンボル「松山城」へ。
松山平野から瀬戸内海を見渡す勝山の山頂に築かれた松山城は、鉄壁の守りを誇る四国最大の巨城で、現存十二天守の中で唯一徳川家縁の城。
築城したのは、豊臣秀吉子飼いの武将として知られる加藤嘉明。
26年の歳月をかけて完成したこの城は、天守防衛の究極の姿ともいわれる「連立式天守」を構える。
これほどまでに堅固な城を築いた理由とは・・・
しかし1784年、松山城は落雷による出火で炎上。
現在も残る天守が再建されたのは、70年も後の幕末だった。
すでに天守そのものが時代遅れとされていた時期に、再建を強く望んだ松山の人々。
その思いを聞く。
レトロな「坊ちゃん列車」に乗り、向かったのは「道後温泉」。
約三千年の歴史を誇る日本最古の温泉と言われ、聖徳太子や天智天皇なども訪れたという。
中でもひときわ目を引く「道後温泉本館」は、明治27年に建造された公衆浴場。
城の建築技術が活かされた見事な佇まいは、松山の人々に大切に守られ、今もその姿を留めている。
道後温泉が温泉地として整備されたのは江戸時代のこと。
松平家最初の松山藩主、松平定行によって行われた。浴槽を身分ごとに区分し、「養生湯」や馬を洗う「馬湯」など施設を充実させ、湯銭(入浴料)をとった。言わば日本で最初の〝スーパー銭湯〟とも呼べるもの。
この温泉経営により道後は温泉地として賑わい、藩の貴重な財源となっていった。
「明教館(めいきょうかん)」は、松山藩の藩校。
その後、松山中学校になり、この場所で、小説「坂の上の雲」で描かれた軍人・秋山兄弟や俳人・正岡子規が学び、夏目漱石が教壇に立った。
一体なぜ、明治という時代にここ松山から多くの文豪、軍人が生まれたのか、その不思議を探る。
子規記念博物館では、貴重な写真を拝見。
子規が生涯大切に持っていた松山城の写真を裏返すと、そこには子規直筆の句が・・・ 『松山や 秋より高き 天守閣』 子規の松山城への愛着を知る。
また、町のいたるところに設置されている「俳句ポスト」は、誰でも俳句を詠むことを楽しみ、投稿できるようにという町のはからい。
松山では俳句を愛する心が市民にしっかりと受け継がれ根付いている。
松山名物「五色そうめん」をいただく。
目にも鮮やかな五色のそうめんは、家康が賞賛し、子規もその俳句に詠んだほどの逸品。
深い歴史に彩られた松山の旅を振り返りながら、今日も城下町の夜は更けていく・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます