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「神武天皇陵」から「飛鳥の蘇の看板」へ向かう道路の傍らに、 何かの解説板らしきものがあるのは以前から知っていた。
しかし、いつも車で通り過ぎるだけ。
藤原京跡の広~い敷地の南端を東西に走る道路の真ん中あたり。
先日、どうしてもそれが何なのかを確かめてみたくなって、車を停めた。
その解説板には「国指定史跡 藤原京朱雀大路跡」と書かれていた。
解説を読むと、昔、この場所に藤原京のメイン ストリートとなる朱雀大路があったのだ。
その道は、都の中で最も広い道路で、発掘調査の結果、幅19m、東西両側に4mの側溝があったという。
道路事情の非常に悪い奈良県で、現在そんな立派な道路はあるんやろか?
昔々、1300年?いや1400年も前に、そんな立派な道路が造れたのに、文化・文明って一体どうなっているんやろうか?と思いながら、その場に立って景色を眺めた。
そうしたら、耳成山がピラミッドのように見えてきた。
「写真;「藤原京朱雀大路跡」の立て札」
しかし、いつも車で通り過ぎるだけ。
藤原京跡の広~い敷地の南端を東西に走る道路の真ん中あたり。
先日、どうしてもそれが何なのかを確かめてみたくなって、車を停めた。
その解説板には「国指定史跡 藤原京朱雀大路跡」と書かれていた。
解説を読むと、昔、この場所に藤原京のメイン ストリートとなる朱雀大路があったのだ。
その道は、都の中で最も広い道路で、発掘調査の結果、幅19m、東西両側に4mの側溝があったという。
道路事情の非常に悪い奈良県で、現在そんな立派な道路はあるんやろか?
昔々、1300年?いや1400年も前に、そんな立派な道路が造れたのに、文化・文明って一体どうなっているんやろうか?と思いながら、その場に立って景色を眺めた。
そうしたら、耳成山がピラミッドのように見えてきた。
「写真;「藤原京朱雀大路跡」の立て札」
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