大神神社界隈で住まいをお探しの方!
こんな“庵”はどうでしょう?
物件の名称は“玄賓庵”。
大神神社から,山の辺の道を北へ歩いて約15分。
(先日,このブログに書いた狭井神社前の茶店から北へ歩いて約10分。)
とにかく,周囲に人家はなく本当に静かです。
その代わり,こんな伝説がありますよ!
大神神社のファンなら憧れの地です。
@玄賓庵
玄賓僧都は、河内の弓削氏の出で、山階寺(興福寺の前身)の僧である。
桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ていたが、俗事を嫌った。桓武天皇の病気平癒に功あり、律師に任じられたが、これを辞退して782年に三輪山の松原谷に庵を結んで隠棲した。
勅使が追って来て、僧都宣命の詔を伝えたが、玄賓は次の歌を作って固辞したという。
三輪川の清き流れに洗ひてし衣の袖は更にけがさじ
世阿弥の作と伝えられる謡曲「三輪」は、玄賓僧都をモデルにしている。
その筋書きでは、玄賓が三輪明神の化身である女性と知り合い、三輪の故事神徳を聞かされるというものである。
三輪山の谷あいに、世を捨てて庵を結び仏に仕えていた一人の僧都がいた。彼のもとに、美しい女人が仏に供える樒(しきみ)と閼伽(あか)水を持って通ってくるようになった。
あるとき女人は秋も深まり夜寒になったので僧都の衣をいただきたいと、衣を所望した。
僧都は乞われるままに衣を与えた。別れぎわに女人の住まいを聞くと、女人は三輪の里山すそ近くに住んでいると答えて立ち去った。不審に思った僧都があとを追って行くと、大木の枝に先ほど与えた衣がかけてあった。女人は三輪明神の化身だったのである。
姿をあらわした三輪明神は、神も人も同じように迷いがある、僧都に接して仏道に縁を結ぶことができたと語り、その後三輪山の故事神徳を聞かせた。
僧都の衣が掛かっていたという杉が、大神神社の境内に現在残っている「衣掛杉(ころもがけのすぎ)」だという。
こんな“庵”はどうでしょう?
物件の名称は“玄賓庵”。
大神神社から,山の辺の道を北へ歩いて約15分。
(先日,このブログに書いた狭井神社前の茶店から北へ歩いて約10分。)
とにかく,周囲に人家はなく本当に静かです。
その代わり,こんな伝説がありますよ!
大神神社のファンなら憧れの地です。
@玄賓庵
玄賓僧都は、河内の弓削氏の出で、山階寺(興福寺の前身)の僧である。
桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ていたが、俗事を嫌った。桓武天皇の病気平癒に功あり、律師に任じられたが、これを辞退して782年に三輪山の松原谷に庵を結んで隠棲した。
勅使が追って来て、僧都宣命の詔を伝えたが、玄賓は次の歌を作って固辞したという。
三輪川の清き流れに洗ひてし衣の袖は更にけがさじ
世阿弥の作と伝えられる謡曲「三輪」は、玄賓僧都をモデルにしている。
その筋書きでは、玄賓が三輪明神の化身である女性と知り合い、三輪の故事神徳を聞かされるというものである。
三輪山の谷あいに、世を捨てて庵を結び仏に仕えていた一人の僧都がいた。彼のもとに、美しい女人が仏に供える樒(しきみ)と閼伽(あか)水を持って通ってくるようになった。
あるとき女人は秋も深まり夜寒になったので僧都の衣をいただきたいと、衣を所望した。
僧都は乞われるままに衣を与えた。別れぎわに女人の住まいを聞くと、女人は三輪の里山すそ近くに住んでいると答えて立ち去った。不審に思った僧都があとを追って行くと、大木の枝に先ほど与えた衣がかけてあった。女人は三輪明神の化身だったのである。
姿をあらわした三輪明神は、神も人も同じように迷いがある、僧都に接して仏道に縁を結ぶことができたと語り、その後三輪山の故事神徳を聞かせた。
僧都の衣が掛かっていたという杉が、大神神社の境内に現在残っている「衣掛杉(ころもがけのすぎ)」だという。
私メの泣き所を掴んでいらっしゃる!!
わたくしも、あの大杉大好きで手水終えたら必ず拝礼しています。
それにしても素敵な庵ですね、一人暮らしには勿体無いです。
次の物件も楽しみだぁーー:
そうそう、15日に岩船寺近くの廃屋物件350万円で売りに出ていたので行ってきました。
サンダル履きでブッシュの中見て廻り、帰途傍の知人の家に寄ったのです。
そしたら、私の格好を見て「マムシに噛まれるでっ!!」
「ギョエ~~~~!!」「巨大百足ウジャウジャしとるで。」「ぎゃぁー」
長ズボン穿いていたのに脹脛に数箇所噛まれて真っ赤に腫れてる、大根足。。
おそまつでした<(_)> Be happy♪
怪僧道鏡の一族ですか??
そんなに綺麗な方・・・
でもそれは,昔・・・昔々・・・ももりが若かりし頃・・・今より大分若かりしころ、
今昔物語より昔のことなのでしょうか?
>あの大杉大好きで手水終えたら必ず拝礼しています。
そうです,あの杉のことなのだそうです。
岩船寺近くの廃屋物件ですか・・・
岩船寺付近も石仏が多くて,いいところですよねぇ~
↓この日記の4枚目の写真のお堂の場所と違いますか?
http://yamasakuran.seesaa.net/article/147506415.html
>この丸く砂が掃かれた辺りにお堂があったと思うのですが…。
たしか・・・3枚目の写真で,
門をくぐって石段をのぼり,丸く砂が掃かれた辺りの右(写真では左)にお堂がありました。
中を覗いたんですが,特になにもなく,加持祈祷する座がありましたが,かなり前から使っていないようでした。
もう記憶が曖昧になっていてお恥ずかしい。
こんな答えでよかったのでしょうか?
また山の辺の道に行く機会があれば,写真を撮ってアップします!
でも,よく覚えておられる。