大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

吉野の脳天さん

2008年05月06日 | 吉野町・東吉野村
脳天大神の創祀
昭和二十六年、五條覚澄の手によって脳天大神が創記された。その経緯は次のようなことであった。

戦後、女性信徒が増加して女性のための行場が望まれたため、昭和二十五年十一月十九日、蔵王堂の西方の谷間にある一の滝(龍神池)の上に、山上行場を模した屏風岩、衣掛岩、押分岩、鐘掛岩などからなる女人行場を開いた。そして、その行場の入口に翌昭和二十六年四月九日、役行者の大銅像を建立した(時報153・154号)。さらに六月二十八日、新しい滝場である金龍の滝を開発し落水した。その前日、五條覚澄が新滝の工事現場へ向かう途中、だれかに頭を打ち割られた一匹の蛇に遭遇した。五條覚澄はあその蛇を一の滝の右にある洞窟に置き回向したのであった。ところが、その翌日からその蛇が霊現を繰り返し、ついに七月十日、ある人に憑依して「まつられたし。まつられたし。吾は頭を割られた山下の蛇である。蔵王の変化身である。脳天大神としてまつられたし。首の上野如何なる難病苦難も救うべし」と告げた。この霊示によって七月十三日、脳天大神の霊標を金龍王の地に立てた。すると次第に多くの参拝者が来るようになり、狭隘になったため現在地へ移転したのであった。(五條覚澄「霊話不思議」・「人生には奇跡がある」)。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 藤原京 | トップ | こばしの焼餅 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

吉野町・東吉野村」カテゴリの最新記事