大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

麺ゆう館で卑弥呼の桃のタネ

2012年11月20日 | 桜井市
三輪そうめん山本にある“麺ゆう館”で素麺延ばし体験をしたあと、施設見学。

すると、売店の奥に埋蔵文化財の展示コーナーを発見!

それは素麺の歴史年表の下に置かれていた。

この近くの纒向(まきむく)遺跡で発掘されたもの?
その中で特に目に付いたのが大量の桃のタネ。
もしかして、これが“卑弥呼の桃のタネ”。
卑弥呼が食べた?
卑弥呼がそのタネで占いをした?
数年前の発掘やったと思うけど、
あの時の記事、どこかに残ってないかなぁ~?

@「桃のタネ2000個、「卑弥呼」有力地で出土」  毎日新聞2010・9・18
 邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、3世紀中ごろに掘られた穴「土坑(どこう)」からモモの種約2000個が見つかった。
モモは古代祭祀(さいし)で供物に使われ、1カ所で出土した種の数では国内最多。
卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の晩年から死後の時期に、モモを大量に使った国家祭祀が行われたことを示す成果と言える。
 17日発表した市教委によると、発掘調査は09年11月に確認された大型建物跡(3世紀前半)の南側465平方メートルで実施。
建物を囲む柵列がさらに28メートル東に長いことが確認され、土坑も見つかった。
土坑は南北4.3メートル、東西2.2メートル、深さ80センチの楕円(だえん)形。
モモの種がまとまって見つかり一度に埋めたとみられる。
一緒に祭祀用具とみられる土器や竹で編んだかごなども発見。
果肉が残った種もあり、市教委は食べたものではなく、モモを竹かごに盛って祭祀に使った後、土坑に埋めたとみている。
モモは、中国の道教で不老長寿や秩序を象徴する神、西王母(せいおうぼ)の食べ物。
日本には弥生時代に伝わり、食用以外に不老長寿や厄よけのため祭祀に使われた。
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には、卑弥呼は戦乱の倭国を治めるため「鬼道(きどう)を行い、人々をひきつけた」とある。

辰巳和弘・同志社大教授(古代学)は「鬼道は道教を反映したもので、モモを大量に使った祭祀で西王母をまつった可能性がある」としている。
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2 コメント

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ももが・・・うれしい (山口ももり)
2012-11-21 10:41:16
モモを大量に使った国家祭祀が行われたことを示す・・・ももりとしましては・・・嬉しいじゃありませんか。
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Unknown (瓜亀仙人)
2012-11-21 18:36:34
ももりさんへ
コメントを残せていないのですが、フランスの記事を楽しく読ませてもらっています。
いいですねぇ~
私も旅をしたいです!
返信する

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