大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

売太神社と稗田阿礼

2011年11月14日 | 大和郡山市
先日,大和郡山市へ。
集落の周囲に濠をめぐらした「稗田環濠集落」の南側に「売太(めた)神社」が鎮座している。

「稗田」と云えば,有名なあのお方と関係が・・・?
この神社,祭神は稗田阿礼(ひえだノあれ)命と、彼の先祖の猿田彦神、天宇受売命(あめノうずめノみこと)。
太古より古代神楽舞で朝廷に奉任した猿女君稗田一族は、朝廷より養田(やしないた)を賜り、その田の持主が猿女田(さるめた)主であった。
同族の稗田阿礼は,648年(大化4年)に生まれ、天武天皇に仕えた舎人で、675年(天武天皇4年)「帝皇日継」と「先代旧辞」を誦習し、712年(和銅5年)元明天皇の御代、朝廷は阿礼の記憶していた歴代天皇の事績を太安萬侶に筆録させ、後世に残す事にした。これが我が国で最古の文学書、「古事記」である。

稗田阿礼さまは遠い遠い昔 ここ稗田の地でお生まれになり、天武天皇さまにお仕えになっていました。当時は、現在のように文字が自由に使える時代ではなかった為大切な事はすべて物覚えの良い人が覚えていて、人びとに語って聞かせ、次の代の人々に伝えていきました。
阿礼様は非常にかしこいお方でどのような文章でも一度見れば覚える事が出来一度聞いたことはこころに刻んで絶対に忘れません。それで天皇さまはたくさんの学者や名門出身の役人の中から特に28歳の若い阿礼様をお選びになり、日本の国の代々の神様や天皇様のなさったお仕事や言い伝え、また主な氏族や民間の歴史などたくさんのおはなしをおぼえさせました。
この話をいまから1300年ほど前(和胴5年)に大安万呂(おおのやすまろ)が「古事記」としてまとめあげ、これが日本で一番古いとされている書物となっています。古事記は上巻、中巻、下巻の3巻からなっています。
天武天皇に仕えた舎人(とねり)で猿女君(さるめのきみ)の一族。天鈿女命(あめのうずめのみこと)の子孫といわれ大化四年(648年)に生まれる記憶力が特に優れ、天武天皇に「帝皇日継」や「先代旧辞」を暗誦させられました。元明天皇は和銅四年(711年)に阿礼の記憶していることを太安万侶(おおのやすまろ)にかかせ後世に残した。これが古事記三巻です。
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2 コメント

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空想力も・・・ (山口ももり)
2011-11-15 09:48:40
28歳・・・「帝皇日継」や「先代旧辞」・・・・もっと古い記録があったちゅうこっちゃな。旧約聖書や古歌、ヨーロッパのローランの歌、とかも始めはみんな口伝えだったんでしょうねえ。人間の奔放な空想力も入って話はより面白く???なってるんでしょうか。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-11-15 17:51:08
ももりさんへ
>人間の奔放な空想力も入って話はより面白く???なってるんでしょうか。
まったくその通りだと思います。
今は情報量が多すぎて・・・
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