大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

墨坂神社へ

2012年02月07日 | 宇陀市・宇陀郡
近鉄大阪線「榛原駅南口」からバス通り(伊勢本街道)を東へ行って、バスは途中で北へ曲がるが、そのまま直進すると「宇陀川」の対岸に「墨坂(すみさか)神社」が鎮座している。

神武東征の砌、合戦のあった墨坂から、1450年(文安6年)に遷座された。
本殿は、1864年(元治元年)春日大社の本殿を拝領し、祭神は「古事記」に登場し、天地が開けた時に、始めて高天原に現れ出た天御中主(あめノみなかぬし)神、次に現れた高皇産霊(たかみむすひ)神、更に現れた神皇産霊(かんむすひ)神の造化3神と、最後に現れ出た伊耶那岐(いざなき)命と伊耶那美(いざなみ)命、更に大物主神の計6神の総称「墨坂大神」。
日本書紀に、380年( 崇神天皇の御代)春3月、国中に疫病が蔓延した時、天皇の夢枕に神が現れ「赤盾八枚、赤矛八竿をもって宇陀之墨坂の神を祀れ」とお告げが有り、そこで勅祭すると、たちどころに疫病が平癒したと記され、今でも毎年11月3日例祭で、赤色の盾と矛が天神の森の御旅所まで渡御される。

@墨坂
神武天皇即位前紀戌午年11月7日磯城彦(奈良県磯城郡にいた兄弟)攻めは、特に兄磯城(えしき)が墨坂で真っ赤に燃えた炭を置いて抵抗した時、宇陀川の水を汲んで炭火を消して討ち果たし、従順な弟磯城(おとしき)は八咫烏が「天神(あまつかみ)の子、神日本磐余彦天皇(かむやまといはれびこノすめらみこと、神武天皇)が汝を召したまふ、カァ、カァ」と鳴いたら畏怖恐懼(いふきょうく)し、「臣(やつがれ、自分は)天圧神(あまノおすかみ、神武天皇)が来られると聞いて、朝夕恐れかしこんでおりました」と云って、葉盤(ひらで、木の葉で編んだ平たい皿)8枚を作り、食(をしもの)を盛って差出しました。
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