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林道のような悪路?を根性を決めて走り、やっと到着した奥不動寺。
時刻は午後2時、あの日は天気は下り坂で山奥のお寺はもう薄暗くなっていた。
お寺の駐車場には他府県ナンバーの車が2台停まっていた。
ご住職と信者さんの車やろか?
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奥不動寺は、大神神社の神宮寺であった大御輪寺(現若宮社の地)の奥の院といわれている。
明治政府による神仏分離令・廃仏毀釈により、大御輪寺は解体廃棄乃至焼却となり姿を消してしまった。
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奥不動寺も解体される予定だったが、何故かそのまま残された。
当初は住職がおられたようだが、壇家もない、信者も少ないので生計が立たず、寺は、無住寺として山深い場所で、荒れ果てるままとなったという。
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ご神体の磨崖仏は、岩肌に彫り込まれており、その刻まれた不動明王が北向きであったため、北向き不動の奥不動寺として尊崇の対象となってきたという。
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お堂の前で、本で読んだダンノダイラへの道を思い出しながら拝んでいたら、
「どうぞ上がってお不動さんを拝んでください。私案内しますから。」と突然、中年の女性に声をかけられた。
「あの~ 私、ダンノダイラに行きたいだけで時間がないのです。」とは断れない状況になってしまったんや。
時刻は午後2時、あの日は天気は下り坂で山奥のお寺はもう薄暗くなっていた。
お寺の駐車場には他府県ナンバーの車が2台停まっていた。
ご住職と信者さんの車やろか?
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奥不動寺は、大神神社の神宮寺であった大御輪寺(現若宮社の地)の奥の院といわれている。
明治政府による神仏分離令・廃仏毀釈により、大御輪寺は解体廃棄乃至焼却となり姿を消してしまった。
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奥不動寺も解体される予定だったが、何故かそのまま残された。
当初は住職がおられたようだが、壇家もない、信者も少ないので生計が立たず、寺は、無住寺として山深い場所で、荒れ果てるままとなったという。
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ご神体の磨崖仏は、岩肌に彫り込まれており、その刻まれた不動明王が北向きであったため、北向き不動の奥不動寺として尊崇の対象となってきたという。
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お堂の前で、本で読んだダンノダイラへの道を思い出しながら拝んでいたら、
「どうぞ上がってお不動さんを拝んでください。私案内しますから。」と突然、中年の女性に声をかけられた。
「あの~ 私、ダンノダイラに行きたいだけで時間がないのです。」とは断れない状況になってしまったんや。
この道は初めてではなかったのです。
中学生のときの遠足で、学校を出発して山辺の道を北へと歩き、車谷から奥の不動へ、白山で昼食、その後、山を南側に下りて学校まで帰ったことがあったのです。