大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

熊沢蕃山遺址

2009年11月08日 | 大和郡山市
今日は「ウォーキングフェスティバル」の日。
何百人?もの人たちが,我が家の田んぼの横の道を歩いた。
家族連れ,中年の男性2人組み,女性のおしゃべり集団etc・・・
私はその横で黙々と趣味の園芸「田んぼに藁撒き」。
コンバインが切った藁が山のようになっている所と,藁を切らずに残して畑に運んでしまった所とを均一にする作業 。
天気が良いのでかなりの汗をかいた。
聞こえて来るのは「ウォーキングフェスティバル」で歩いている人たちの会話 。
聞きたくなくても,自然に私の耳に入って来てしまう。
皆,ホンマニいろんなこと話しながら歩いてはんねやなぁ~
人それぞれの人生や・・・
歩くと車で移動しているよりいろんな発見をする機会が多い。
昨日,矢田寺へと歩いていたら「熊沢蕃山」に出会った。
1679年,彼は大和郡山の矢田に住んではったんや!

@熊沢蕃山
元和5年(1619)-元禄4年(1691)
陽明学派の儒学者(中江藤樹に師事)政治家、経世家。
浪人していた父野尻一利、母熊沢亀の長男として京都稲荷(五条との説もある)に生まれる。 名は伯継(のりつぐ)、幼名は左七郎、のちに次郎八(二郎八)、助右衛門と名乗る。
岡山藩辞職後は蕃山了介(しげやまりょうかい)と称した。号は息遊軒。
主な著作は「集義和書」「集義外書」「大学或 問」など多数

○蕃山語録
・「我は我、人は人にてよく候。」
・「天下は 天下の天下なりといえり
 金銀米穀は 天より天下の人の為めに生ずるものなれば、
 一人の私すべきにあらず
 生まれ出たる時は 貴賎共に一衣も着ず 一物も持たず
 金銀は貧せん・富貴の命によりて しばらく来往す
 今日己が物かと言えば 明日は他人の物なり」



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