乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『栄華程五十年 蕎麦価五十銭 見徳一炊夢』  『黄表紙 洒落本集』岩波 古典文学大系  天明元年  朋誠堂喜三二作

2024-10-01 | 草双紙:洒落本、仮名草子、黄表紙、黒本、赤本、合巻 等

 

 『栄華程五十年 蕎麦価五十銭 見徳一炊夢』  『黄表紙 洒落本集』岩波 古典文学大系  天明元年  朋誠堂喜三二作

 

 

 

栄華程五十年 蕎麦価五十銭 見徳一炊夢 

3巻 

朋誠堂喜三二 天明元年(1781)  

 

「もし、お頼みもうしやす。いまお誂えのそばが参りやした」

と言って、

「かめ屋」

の出前がそばを届ける、、、

 

『見徳一炊夢』は、金持ちの息子・清太郎が親の金を盗んで「夢」を買い、栄華の旅に明け暮れる。

 だが、70歳になって戻ってみると家は没落していた、、、、

 

 実は清太郎が出前を頼んで蕎麦が届くまでの「一炊の夢」だった、、、

 

というような話が多く載せられている。

 

 

この和本は、

  国立国会図書館デジタルライブラリー

  早稲田大学デジタルライブラリー

  九州大学デジタルライブラリー

などで、公開してくださっています。

 

 (名称がデジタルライブラリーでなく間違っている場合はお許しください)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Antonín Leopold Dvořák アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク  4 /東京都交響楽団 ドヴォルザーク:交響曲第3番 変ホ長調 op.10

2024-10-01 | クラッシック音楽

写真は、「hand」  エジプト ナイル川にて

 

 

ドヴォルザーク:交響曲第3番 変ホ長調 op.10 /ヤクブ・フルシャ/ 東京都交響楽団

 

 

Antonín Leopold Dvořák アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク  4 /東京都交響楽団 ドヴォルザーク:交響曲第3番 変ホ長調 op.10 

 

国際的名声

 1878年に作曲され、同年にプラハで初演されて成功を収めたオペラ『いたずら農夫』が1882年にドレスデンで、翌1883年にはハンブルクで上演される。

 これはドヴォルザークのオペラがチェコ以外で上演された初めての例である。

 

 しかし、1885年のウィーン宮廷歌劇場での公演は、政治的な摩擦を引き起こし、リハーサルの段階から不評であった。

 

 ワーグナー派のフーゴ・ヴォルフは、ドヴォルザークのオーケストレーションについて

「胸が悪くなる、粗野で陳腐なものだ」

と批判している。

 

 しかし、音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックからはウィーン移住の誘いを受ける。

 ブラームスもこれを勧めたが、ドヴォルザークは、迷った末に結局これを断り、チェコに留まることにした。  

 

 ロイヤル・アルバート・ホール 1884年3月、ドヴォルザークはロンドン・フィルハーモニック協会の招きでイギリスを訪問した。

 

 この時、いくつかのコンサートが催されたが、ロイヤル・アルバート・ホールで自ら指揮を執り『スターバト・マーテル』の演奏を行った時のことを、こう綴っている。  

「私が姿を現すと12,000人もの聴衆から熱狂的な歓迎を受けた。(中略)私は心からの感謝を表すために何度も繰り返しお辞儀をしなければならなかった」

 

 こうしてイギリス訪問を大成功に終えると、ドヴォルザークはプラハから60km離れたヴィソカー(チェコ語版)という小さな村に建てた別荘にこもり、くつろいだ時間を送った。

 

 この別荘は、義理の兄にあたるコウニツ伯爵から土地を譲り受けたもので、今やチェコを代表する作曲家となったものの、田舎生まれの彼には、ゆったりとした田園生活を送る必要があったのである。

 

 しかし、同年8月末には再び渡英、また11月にはベルリンで指揮者デビューを果たすなど、多忙な音楽家生活に変わりはなかった。

 

  1884年の6月にドヴォルザークは、ロンドン・フィルハーモニック協会の名誉会員に推薦されるとともに新作交響曲の依頼を受けた。

 

 これに応えて作曲されたのが交響曲第7番である。

 そして、彼はこの新作交響曲を携えて、1885年4月に3度目の渡英を果たす。

 

 ドヴォルザークとイギリスの蜜月はこの後も続き、結局生涯に9回のイギリス訪問を重ねている。  

 

 交響曲第7番は、劇的序曲『フス教徒』とも主題上の関連がある愛国的な感情をうかがわせる作品である。

 

 ドヴォルザークは、出版社ジムロックに対して、この交響曲のスコアの表紙にはドイツ語と並んでチェコ語でタイトルを印刷し、自分の名前もドイツ語の「Anton」ではなく、チェコ語「Antonín」を想起できるよう「Ant.」とするよう要求している。

 

 しかし、ドヴォルザークが小品を作曲してくれないことに不満を抱いていた出版社は、この要求を採り上げなかった。

 

 こうしたことからドヴォルザークとジムロックとの間は冷えた関係となって行く。

 

 1887年には、8月にジムロックに対して

「今は新作の構想はない」

と言いながら、10月には室内楽曲の傑作ピアノ五重奏曲第2番(Op.81, B.155)を完成させている。

 

 そして秋に交響曲第5番、交響的変奏曲、弦楽五重奏曲ト長調、詩篇149番といった作品とともに新作を携えてベルリンのジムロックを訪れ、これらの作品を購入すること、そのスコア表紙の作曲者の名前は「Ant.」とすることを承諾させたのであった。

 

  1890年、ドヴォルザークは交響曲第8番を完成させる。

 しかしジムロックは

「大規模な作品は売れ行きがよくない」

ことを理由に買い叩こうとした。

 このため、両者の溝は決定的なものとなり、ドヴォルザークは、ロンドンの出版社ノヴェロ社にこの新作交響曲を渡してしまった。

 そのために、この交響曲は「ロンドン」または「イギリス」と呼ばれることがあるが、それは上記の理由にしか拠らないものであり、イギリスをモチーフにした標題的な要素はない。

 

  1888年、プラハを訪れたチャイコフスキーと親交を結び、1890年にはその招きでモスクワとサンクトペテルブルクを訪問している。  

 

 このころ、ドヴォルザークは様々な栄誉を受けている。

 1889年に鉄冠勲章(ドイツ語版)三等を受章し、1890年にはチェコ科学芸術アカデミーの会員に推挙された。

 1891年にはプラハ大学より名誉博士号、ケンブリッジ大学より名誉音楽博士号を授与されている。

 

 公職としては、1890年秋にプラハ音楽院教授就任を受諾し、翌1891年からこの職に就いている。

 

 ドヴォルザークが担当した15人の生徒の中にはヨセフ・スク、オスカル・ネドバル、ヴィーチェスラフ・ノヴァークといった次代のチェコ音楽を担う逸材が集まっていた。

 

 ドヴォルザークはこうした多忙の中、レクイエムとピアノ三重奏曲第4番『ドゥムキー』という2つの重要な作品を完成させている。

(Wikipedia)

 

Antonín Leopold Dvořák アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク  1

Antonín Leopold Dvořák アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク  2 /京響 ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調「新世界から」

Antonín Leopold Dvořák アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク  3 /東京都交響楽団 ドヴォルザーク:交響曲第3番 変ホ長調 op.10

Antonín Leopold Dvořák アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク  4 /東京都交響楽団 ドヴォルザーク:交響曲第3番 変ホ長調 op.10

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『文武二道万石通』( ぶんぶにどうまんごくどおし)  『黄表紙 洒落本』  岩波 古典文学大系

2024-10-01 | 草双紙:洒落本、仮名草子、黄表紙、黒本、赤本、合巻 等

『文武二道万石通』( ぶんぶにどうまんごくどおし)  『黄表紙 洒落本』  岩波 古典文学大系

 

『文武二道万石通』を岩波の古典文学大系で読む。

『文武二道万石通』の場合は早稲田大学デジタルライブラリーで和本が見られるようです。

 

 

『文武二道万石通』( ぶんぶにどうまんごくどおし)〔ブンブニダウマンゴクどほし〕

 黄表紙。3冊。

 朋誠堂喜三二 (ほうせいどうきさんじ) 作。

 喜多川行麿画。天明8年(1788)刊。

 

 源頼朝が畠山重忠に命じて諸大名を文武二道に分けるという話。

 寛政の改革の文武奨励策など実相をとらえ、風刺したもの。

 

 

寛政の改革

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『黄表紙 洒落本集』岩波 日本古典文学大系より「手前勝手  御存商売物(ごぞんじしょうばいもの)」画工 北尾政演戯作

2024-10-01 | 草双紙:洒落本、仮名草子、黄表紙、黒本、赤本、合巻 等

堺 茶室 伸庵

 

 

 

『黄表紙 洒落本集』岩波 日本古典文学大系より「手前勝手  御存商売物(ごぞんじしょうばいもの)」画工 北尾政演戯作

 

 

手前勝手  御存商売物(ごぞんじしょうばいもの)

   北尾政演書作

   画工 北尾政演戯作

 

 (一部抜粋)

八文字屋の読み本

貸本屋の風呂敷より現れ出て

行成表紙の下絵本が方へ来たり、

「さてさて、貴公もわしも、上方より下り、ご当地にときめきし身の上が、近年青本はやり、ことに洒落本なぞというたわいもなきもののために世をせばめられ、いかにも口惜ことなり。

どうぞして青本その他の地本にけちをつけん」

と謀。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする