日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

信楽山中風景

2015-04-26 14:01:20 | 日記
サウロ(パウロ)は、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起り、使徒たち以外の者は皆、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。サウロ(パウロ)は教会を荒し、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。他方、散らされた人たちは、御言葉を宣べながら、巡り歩いた。(使徒の働き8章1,3,4、節)



17日の10時頃出発で信楽温泉(ゴルフ場)に向かいました。信楽駅からは東になり標高の高い所です。夫は友人とこの信楽温泉に行くので、まだ桜が咲く頃だとか。この道へ来たのは私は初めてです。まだ桜がそう遠くない場所にあるとは嬉しいと着いて行きました。茅葺に山桜。好きな被写体です。







小川の傍に桜が咲き、宇治とは17日も遅いのですね。しかし寒いです。気温も随分違い、家から1時間もかからないですが、こんな寒いとこがあるのでした。流石近畿のアルプスです。ダウンコートを着て丁度でした。







山中らしくタイムスリップした感覚になります。幼い時、よく母の実家が長岡市でしたが、その頃の山風景よりまだ古いでしょうか。でも懐かしいです。



桜と小川。う~ん、ゆっくり見ていたいです。





郷愁に誘われますが、しかし不便でしょうね。国道からかなり離れて、遠いです!住めば都でしょうか。



ここからゴルフ場までまだまだ走りました。

上の言葉
(当時パウロはサウロと呼ばれていました。彼は律法学者で、ユダヤのトップを行くエリート。律法学者やパリサイ人は上部の権力を持っていました。旧約聖書の律法を重んじて、それを厳しく守っていれば、神に忠実で救われる、と思っていたのです。その規約は日常の詳細にゆき届き、誰も守れないものです。しかし彼等は守っていると考えて威張っています。そこに愛はないです。

イエス様は律法も必要ではあるけど、それは人は誰も守れない。救いが無い。律法は人の罪を表現しています。誰も守れないのです。そこでキリストは、ゲヘナに投げ込まれる運命の人類の為に、身代わりに十字架に掛かって下さいました。人は神の前で平等であり、十字架の贖い。イエスキリストを通してでないと、救われないのです。そこにキリストの愛があるのです。

人々はキリストに着いて行こうとします。律法学者は迫害し殺そうとします。筆頭がパウロだったのでしょう。彼は迫害し、人を捕え、牢に入れました。
使徒でない人はサマリア等に散らされました。不思議な事です。散らされたピリポ等はサマリアで熱心に伝道し、サマリア人が多く救われました。歴史を見ても、迫害が起きたら、キリスト者は困難を押し、世界の隅々まで伝えて行った経緯があります。)