日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

2015-12-15 09:45:25 | 日記

わたしに着いて来なさい。(聖書)

大きな寺ではなく詩歌の為に作られたこの庭。静かな風と水の流れがあります。京都には多くの
名庭がありますが、好きな庭の一つです。自分が落ち着ける為でしょうか。

根がしっかり張ってますね。

落葉の時期です。ものの哀れですが、一句生まれそうな気がします。

椿は冬の花ですから、紅葉が終わりを告げひっそり咲いていました。

この茶室はいつもじっくり見てしまいます。多分茶道をしながら詩を練られたか。

黄葉を愛でる人達です。

この門がまた風情がありますねぇ。

上の言葉
昨日小集会のクリスマス会で楽しい時を過ごせました。
ある姉妹が、家族にイエス様の事を伝え様とすれば、多くの病の人や貧困の人がある、それを何故助けてくれないのか?と言われるとのこと。私も一見、ウーとなりそうですが、始めに人類が神の前で罪を犯した。それが今も付きまとう。それがある限り、神は苦しみは終わらないといってられた。クリスチャンでさえ信じ悔い改めても、人はまた繰り返し知らないまま罪を犯す。だからこの世を去るまで、苦しみは付きまとう。クリスチャンはその苦しみにより、悔い、また神に赦しの祈りをする。その繰り返しです。

普通の人は悔い改めがない。むなしい人生なのです。クリスチャンは天の希望をもっています。
それだけの違いです。長けたキリスト者ほど、永遠、天の希望を抱いてることでしょう。

イエスは私に着いて来なさい。と絶えず、本でもTVでもたまにキリストに関する番組がありますが、呼びかけておられるのです。それに従いたいと思う人は僅か。

だから苦しさは全部の人間なんです。それは始めのアダムとエバによりますから、キリストがこの世に再び来られるまで、避けることは出来ません。)