日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

イスラエルの旅 カエサリア

2017-02-17 23:52:56 | 日記
「人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。」箴言16:2



ナザレからカエサリアに向かいました。ここは地中海に面した港町です。ローマとよく似た円形劇場や水道橋がありました。古代から栄えた場所で、トルコやギリシャ、ローマに行きやすかったと思えます。ここは夕方、波は荒く、シャッターチャンスなので1眼レフで撮りました。我を忘れ皆さまを待たす事8分。悪かったです。写真旅行なら反対側から撮りたかったです。





使徒パウロは始めはイエスを十字架に着けた側の人でした。ある日、復活のイエスが「パウロ、パウロ、何故私を迫害するのか?」と真っ暗な道でイエスに呼ばれたのです。そして倒れました。3日間目が見えなかったのです。その後彼はすっかり悔い改め使徒になったのです。彼は宣教師の役目となり、ギリシャ、トルコ、ローマに4度も向かいました。船が難破したこともあります。牢にいれられた事もあります。死を覚悟した事はどれほど多かったか!この港から向かった事でしょう。







パウロは過去が律法学者でしたから頭脳明晰だったし信頼も多かったでしょう。でも身体に欠点がありました。
十字架と復活の希望のこの福音を多くの人につたえるためには死もいとわなかったのです。



天気は悪いし波は高いです。寒いです。地中海は温暖と聞いてましたが、こんな日もあるのですね。パウロも昔ですから船も小さなものだったでしょう。どんなに勇気が要った事か。








虹が出ていました。よく虹を見ることがありました。



上の言葉
身びいき、我田引水と言うのでしょうか、人は自分のことを正しい、間違いのないものと肯定しやすいのです。また、人は外見で判断します。しかし、神様はそのようなことで誤魔化される方ではありません。神様が目を留められるのは、その人の魂、心です。見えるものの背後にある、隠された動機、意図、思慮などを探り知られます。人の目を欺くことはできても、神様は隅々まで見ておられる事を知るべきです。(KE)


ナザレの町

2017-02-17 09:25:29 | 日記
「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。」第二コリント7:10



マリアセンターを後ニナザレの町の下の方に向かいました。賑やかですね。イエスの宣教の拠点であり、長く暮らされたとこですが、当時は小さなな町だった事でしょう。マリアセンターの箇所で張り付けて来なかった住居跡を貼ります。マリアさんたちの村でした。





2000年も経てば5mも下になるのですね。





大きなダクロを売っていました。日本ではダクロを売ってるのを見た事はないですが、大きいでしょ。このダクロのジュースを飲みましたが、大変おいしいでした。実はどんな味がするのか食べたいものです。





下町という感じがして親しみやすいです。



山手の家並みも美しいです。







日本と変わらないものでしょうか。





この国は鳩が多い気がします。砂漠も町もよく見かけました。

上の言葉
 二つの種類の悲しみがあります。「みこころに添うた悲しみ」は聖霊に導かれた悲しみで、人の心を浄化する力がありますが、「世の悲しみ」は感情や情動に支配されたもので、人の心を暗い闇へ引き込み、罪を犯させることになります。世にあって悲しみを避けることはできません。しかし、神様のみこころを深く知るゆえに生まれる悲しみを味わうことは幸いです。(KE)