日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

鶏鳴教会

2017-02-26 23:29:28 | 日記
ガリラヤの風薫る丘で 人々に話された 恵みの御言葉を 私にも聞かせて下さい。(新聖歌40)



間もなくイスラエルから帰国して1か月近くなります。帰った当時はよく皆さんにシャッター切ながら着いて行けたな。魅力的な国だったな。行って良かった。と思うくらいでしたが、写真を整理し、嘆きの壁やドロローサを更新してる内に、変わって来ました。今日の礼拝での讃美歌やメッセージにすべて行った場所が語られる訳です。そうなんだ、あの場所でイエス様が語られ行われたのだ!生の実感として伝わるのです。ドロローサに涙します。喜びと悲しみが交差し、私の心に聖霊が満たして下さいます。
鞭うたれ、棘の冠を被らされ、手に釘を打たれ、足に釘を打たれ、6時間程惨い十字架にかかられていたのです。罪のない方なのに、人々に罵声を浴び、けなされ、それでも逆らわず、隣の罪人を慰め、父なる神に祈られました。「父よ、彼等を赦したまえ、彼等は何をしているのか解らないのです。」そんな究極の苦しみの中でも人々を赦し、赦しを願ってられました。正に人がそんな事は出来ません。イエス様は神です。



ガリラヤ湖は案外大きな湖でした。弟子達が船で出かけたら大嵐。困っていたらイエス様が水面を歩いてこられました。びっくりしたペテロは「イエス様私もそこまで歩いて行きます。といって、歩きもう少しで辿る時波を見て怖くなりました。そうすればダボンと水の中。イエスは引き上げられました。「困った人だ、信仰の薄い人達。」弟子達は「あなたは本当の神です!」と言いました。ペテロはイエスだけを見ないで波というこの世を見たから水に投げ込まれたのです。



ドロローサの後、ダビデの町の模型の所へ連れて下さいました。案外広大です。





その後、鶏鳴教会見学でした。この教会はイエスの処刑で捕らわれの身になられ、役人の館の地下の部屋に連れて来られた時、ペテロこっそりイエスを見に来たのです。ここの女性が「あなたもあの人と一緒だったのでは?と聞かれ「私は知りません。」といいました。鶏は鳴きました。そんな事が3度ありました。イエス様は捕らわれる前に「貴方は3度私は知らないという。」と予言してられました。その通りだったのです。愛した弟子はやはり裏切ったのです。我々も自分の立場が窮地になれば、知らない、というのではないでしょうか。



地下にも礼拝堂がありました。







大きな教会です。



奥まった部屋で牧師先生のメッセージがありました。







外に出ると、、ペテロが「あなたもあの方たちと一緒だったのでは?と聞かれ「私は違います。」といってる像がありました。





見晴らしの良い美しいところです。





エルサレムが大きく見えます。