日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

9月3日 御言葉をあなたへ  心に残るメッセージ

2020-09-02 23:18:22 | 日記

「わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない。」ヘブル10:38

  人は品行方正、善行功徳をもって義人であろうとしますが、どんなことをしても神様に認められる者になれません。神様に喜ばれる者となる道は信仰に生きる以外にないのです。人は見えるもの、聞くところによって生きようとします。しかし、見えない神様の居ますこと、信頼し、呼び求める者に答えて下さることを信じる信仰に生きるとき、魂はいのちに輝き、喜びがあふれます。(KE)

      清水が池

30日の礼拝メッセージの中の部分ですが、心迫るものがありました。

死に至らない罪(許される罪)=我々はキリストを信じても、時に忘れ罪を犯すものです。

               信じた人は聖霊がいて下さるので、神を主と導いて下さる。

               その繰り返しの人生です。

死に至る罪(許されない罪)=偶像礼拝、殺人、姦淫の罪を指す。

              信仰から転がり落ち、聖霊を汚す罪である。

              偶像の神々に行くしかない。殺人、姦淫は等しい

              大きな罪です。ゲヘナに投げ込まれるしかない。

しかしどんな罪を犯しても、自分は悪かった!神様赦して下さい、と心から悔いたら

赦されるのです。世界でキリスト者は3分の1。いつも聖霊にすがっていたいものです。

それが祝福の道で天国への約束があります。神様から離れたらその恵みはありません。


9月2日  御言葉をあなたへ   季節の変化

2020-09-02 07:22:24 | 日記

「それで、あなたがたは神をだれとくらべ、どんな像と比較しようとするのか。」イザヤ40:18

 神様は目に見えず、耳に聞こえず、手で触ることもできません。そのため、神様の存在がはるか遠く、小さなものになっていませんか。その結果、神様を信頼できず、その絶大な力や知恵をわすれて、偶像の神々と同じものと思ってしまう。これでは神様を知ることは不可能です。神様はどのような方なのか、原点に戻って姿勢を整え、神を神として畏れ(恐れ)、敬い、尊ぶ者となろうではありませんか。(KE)

          妙高高原  清水が池   (撮影2008年8月初旬)

台風シーズンがやって来ました。それも海水の温度が高いので大型です。熱帯化

ですね。近年台風は怖くないと思っていましたが、そうはいかなくなりました。

気候が大きく変わったのです。災害国日本です。しかし今朝は久し振りに涼しい

朝でした。

妙高高原の中でも笹ヶ峰牧場にある清水が池は私は最も好きな風景です。池の

回りには山野草が多く、山の中で静かにたたずむ池です。他の地域でも多く見られる

風景かも解らないけど、妙高ではここですね。観光客は余り行かないかも。少し

奥まっていますから目立たないでしょう。近年回りに遊歩道が造られ美しくなり

ました。是非また行ってみたいです。そして知人、友人に会いたいです。