「わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない。」ヘブル10:38
人は品行方正、善行功徳をもって義人であろうとしますが、どんなことをしても神様に認められる者になれません。神様に喜ばれる者となる道は信仰に生きる以外にないのです。人は見えるもの、聞くところによって生きようとします。しかし、見えない神様の居ますこと、信頼し、呼び求める者に答えて下さることを信じる信仰に生きるとき、魂はいのちに輝き、喜びがあふれます。(KE)
清水が池
30日の礼拝メッセージの中の部分ですが、心迫るものがありました。
死に至らない罪(許される罪)=我々はキリストを信じても、時に忘れ罪を犯すものです。
信じた人は聖霊がいて下さるので、神を主と導いて下さる。
その繰り返しの人生です。
死に至る罪(許されない罪)=偶像礼拝、殺人、姦淫の罪を指す。
信仰から転がり落ち、聖霊を汚す罪である。
偶像の神々に行くしかない。殺人、姦淫は等しい
大きな罪です。ゲヘナに投げ込まれるしかない。
しかしどんな罪を犯しても、自分は悪かった!神様赦して下さい、と心から悔いたら
赦されるのです。世界でキリスト者は3分の1。いつも聖霊にすがっていたいものです。
それが祝福の道で天国への約束があります。神様から離れたらその恵みはありません。