日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

コンデジ散歩(宝塚)

2015-01-10 08:33:40 | 日記
主は私達の成り立ちを知り、私達がちりに過ぎないことを心に留めておられる。(詩篇103篇14節)



5日に自分の心身の癒しの為に宝塚へ行きました。スケジュールを考え、この日が良いと判断し、1か月以上前に1枚チケットを買っておいたのです。年に2度は友人3人と同窓会の様に集まり、観劇し、旧交を暖めますが、友人も移転したり、体調等で毎月は行けなくなりました。

私も以前の様に御贔屓もなく、行きたいとも思わなかったのですが、近年電車で出かけることが極少なくなりました。以前の様に買い物は京都の百貨店や、京極等必ず出かけてましたが、今では殆ど宇治市で間に合います。眼科検診は京都ですが、車で連れてもらいます。また撮影も近場で、自分で車を運転します。やはり電車やバスに乗って出かける事も必要であり、世の中に取り残される気がして来ました。切符を買って乗ることが。



5日の京都駅です。まだ屋根に雪が残っています。これから2か月に1度は宝塚へ行きたいです。御贔屓は無くても、ほっこり出来るし、余り大都会は好きで無く、さりとて地方はまた旅で。





マンホール迄すみれ模様。やはり青春時代の原点のここが電車ウオーキングにはいいでしょう。



やはり楽しく迎えてくれます。



もう修学旅行でしょうか。この日はまだ冬休み。若い人が多いでした。修学旅行で宝塚を見て憧れ、宝塚音楽学校に入った方も案外多いのです。



豪華ですね。公演は正月らしい明るいコメデイ。またショーもカッコ良かったです。席も遅くに申し込んだ
のですが、10列目の端で、良く見えました。以前の様にワクワクはしないけど、結構楽しめました。
コンデジで劇場の回りをパチリ。コンデジはピントの合わせ方も慣れてなくし、シャッタースピートも遅いし、ジレッタイなぁ、と感じますが、重いカメラを持つのは相応しくないでしょう。楽しく撮れたらいいかな?


雪の中で

2015-01-08 09:19:29 | 日記
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(マタイの福音書5章4節)



どの人も生きている間は悲喜こもごもの間を漕ぐっています。大きな波、小さな波。ありますね。若い時は若いなりに。中年は中年なりに。老年は老年なりに。



教会でも、回りでも、その他でも、よく嘆きを聞きます。そう私も20歳終わりから60歳までイヤと言うほど苦難も、たまに喜びも味わって来ました。40歳でイエス様により救い出され、本当に支えられ、何とかクリアしつつ乗り越えて来ました。本当にその救いが無ければ、シンドクて病気になって今頃此の世にいなかったかも。



家庭内の不和、娘の成長の悩み。それが何とか落ち着けば、両親の介護。一人の親でも大変なのに、二人ですから。その間、悲しい事ばかりでないですよ。信仰の友との交流や励まし、また自分の趣味やお出かけ等々、呑気な私故に、適当にストレス解消はしてました。



でも当時は若いからそう疲れは無かったかな?介護は当然と思ってましたから。



雪の中の花もよく耐えてますね。人間も私の場合は主により頼みですが、耐えられました。



56~60歳で二人の子の結婚、両親の葬儀。その間、私の医者の誤診?(多分難しい部位で解り難いのです。)
大手術。まぁ、忙しい事!今となっては良い経験をさせて頂きました。全てを感謝の念で一杯です。

神様は長い32年間の苦難の全てを取り除いて下さいました。さてこれからは余生を如何に!?ある友人は今が最も幸いでは?と言われ、そうなんだ、と思えます。でもこれからはどんな事が待ち受けているのでしょう。これは誰だって解りません。でも私には信仰による希望は持ってます。



植物達も風雪に耐え、太陽に輝き、活動し、やがて萎れていきます。人も同じなんだと、、、生きとし生けるもの愛しいですね。だからカメラを向けるのでしょうか。


雪に埋もれた花たち

2015-01-06 09:48:30 | 日記
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また、「何の喜びもない。」という年月が近づく前に。(伝道者の書12章1節)



お正月の3ケ日雪を見る事が出来ました。当地には本当に珍しい事です。今日は雨降りです。これは2日に客の来ぬ間に近所や我が家の狭い庭でパチリしました。良く考えたら今まで年に1度~2度、2センチ程積もる時は宇治橋方面や宇治田原へ飛んで行ってました。今年はお正月で、忙しくて極近場の花や実です。







おもとの実も隠れそう。



千両ですが、前の黄葉?をボカシテ。



南天ですが、黄色の南天を最近買って来たのです。よく埋もれたものです。



万両ですが、花の実の名前のごとく、お金はないです!せめて花の名だけでも。。。


ご近所さん

2015-01-04 19:18:09 | 日記
あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネの福音書13章34節)



今日の礼拝のメッセージでは実に心弄るものでした。自分の心を考えてみましょう。人に対し妬みや僻みが何処かにある。自己中心に考えてしまう。怒りが起きる事がある。憎しみだって何処かに。本当にどうする事も出来ない醜さ。

政治経済もまた同じ。自分の回りやあちらこちらで。会社、グループも。何処まで行っても醜さに満ちている。世界も日本も。

これらによる醜さ=罪 イエス様は人類の罪の為に、本当は我々が十字架に架からねばならないのに、我々の身代わりに死んで下さり、そして3日後に蘇って下さった。 この事が解るし、信じてるのがクリスチャンなのです。 この世の週末の時、キリストと共にクリスチャンは蘇ります。

この事を信じるのは日本では1%。世界では3分の1 なんです。狭い道ですね。



我が家の近所も多くあるし、町内の友人(信仰の友)は沢山あります。でもご近所として親しくお付き合いはそう多く出来ないものです。向こう3軒はこの地へ越して来て以来ずっとです。



左の方は病気になられ、ヘルパーさんが来てられます。ユーモア溢れた方ですが。真ん中の方は相変わらず。右の方は95歳位。何とまだ植木に登り、ゴルフや色んな運動して、若い方に負けない人。奥様も元気。皆さんこの夫妻を目当てにしてる方が多数。百歳までは生きるとか。





公園も雪日は美しい。





マンホールも凍てついています。





こちらにしては凄い雪。でも昼間は溶けて、2日も3日も夜に積もっていました。だから大人しい雪です。

正月の雪

2015-01-03 21:48:33 | 日記
恵みの高き値 日々我が目当てに 祈りつ歌いつ 我は登り行かん 光と清きと 平和に満ちたる 恵みの高き値 我に踏ましめよ(聖歌589) 
元日の夕方から積もり出した雪は我が町で13センチ。めったに雪は降らず、12月の大寒波でも積雪は皆無でしたのに、珍しいです。近年2センチの積雪が1~2度でしょうか。雪が積もれば喜んでました。犬でもないですが。昨年からよく降る様になりました。今日も昨夜に積もったのでしょうか。同じく10センチは積もってます。本当はこんな日は宇治橋か平等院、宇治田原へ行きたいのですが、元日の息子家族との朝、昼の食事会。昨日の娘家族との食事会と少々お疲れ。夫に撮影に行こう、と言っても腰を上げない。私の運転でこの雪道は自信は無く、諦めました。無理はしない方がいいかも。

昨日(2日)の公園と近所の塀をスナップ。ア~今日なら宇治田原は雪と霧、日差しで美しいでしょうね。残念。 公園からいきましょう。



この時期、山茶花と雪は色のコントラストが綺麗です。今まで余り当地では降らず、殆ど滋賀県で撮ってました。雪景色もたまに降る宇治田原か、湖北のみです。冬の信州は行った事がありません。雪が深く歩くのも、履物から変えなきゃならないでしょう。都会は雪に慣れてないから、怖さを知らないのだと思います。美しいけど、住めば雪下ろしや交通の大変さが思いやられます。





近所の児童公園ですが、よく積もってました。何かにつけ町内の行事に使われます。我が子もよく使いお世話になりました。





今では町内も高齢化し、高齢者用の運動や、朝はラジオ体操等高齢者の利用が圧倒的になりました。私は側をウオーキングする位でいつも横目で見ています。



この公園の上の方から電線が一杯ですが、少々京都市内が見えます。たまに公園に入ると、雪日ですから人を見ません。静かなお正月です。